報道(主に TV のニュース)についての話。
先日 TV のニュース番組で、とても面白いことを言っていた。
「(アメリカのイジメ対策の条例等の VTR を流した後で)アメリカでは学校への責任追求より状況解決が優先されるため、イジメはどんどん報告されて解決のための前向きな対応が行われていますが、日本では責任追及を恐れて学校側がイジメは無いと未だに隠しています。日本も対応を切り替えて」ウンヌン。
責任追及者の急先鋒たるニュース番組が、いったい何を言ってるのかと。
スパイシー。
現代日本におけるニュース番組というやつは、とにかく声がでかい。そいつらが日がな一日「あいつが悪い」と言い続ければ、よほどの天の邪鬼でもない限りはブレインウォッシュされてしまう。簡単に悪党を作ることが出来る。
善玉に対しては懐疑的な目を向ける日本人も、悪党に対しては素直に悪党だと認めるところがある。ひどく不健全なきらいがあるが、方向性としてたぶん間違っていないと思う。人は群れると馬鹿になる。
かくして市民は自分が悪ではないと信じるため、多くの人にとっての自己欺瞞のために悪党を探す。そしてニュース番組はスケーブゴートを探し出しては人々の前に「こいつが悪い」と晒し者にしている。
誰が悪いのかといえば、実のところみんな悪い。
なんに関しても一家言持ちたがる人間は、年齢が増すほどに(自身が賢者であると主張すべく)増える傾向にあるが、そうした人間のほとんどがマスコミの擁立する“識者”の言に依存している。
思考停止している。
まあ、こうしたことを書いている僕も悪いわけで、他人のことをとやかく言える立場ではないと思うが、それを言ってしまうと誰も何もいえなくなってしまうと思うので、羞も外聞も捨ててダメ人間になってみる。
ところで市民にとってのニュースは、だいたい以下のとおりだろう。
・多くのニュースが圧縮状態で流され、覚えきれない。
・個別のニュースに対して自分で調べている時間なんか無い。
・ニュースは日常のツール(話題)で、大した意味なんか無い。
・話を振っておいて続けられなくなると困るから“識者”の言を聞いておく。
次にマスコミ (TV) にとってのニュースは、以下のとおり。
・個別のニュースに踏み込んだ調査をしている時間も経費もない。
・だから特定機関や組織の発表をただ流している。
・しかしそれだけでは他局と同じなので“識者”を用意し差別化する。
・“識者”は局に配慮し当り障りのないことが言える人間を選ぶ。
本来、報道というのは「事実を伝えること」が役割で、そこに余計なコメントや論評を加えることは報道の役割ではない。そうした意味ではコメンテーターはおろか、アナウンサーの一言コメントすら害悪である。(その意味で久米宏の責任は重いと思う。ラジオのパーソナリティとしては好きなんだけど)
もちろん事実であってもその伝えかた一つで方向性が加味されてしまうものだが、それを助長する必要は皆無だろう。
しかし、それでは視聴率が取れない。ニュース番組もスポンサーあってのもので、要するに経済活動である。視聴率がとれなければスポンサーも付かない。スポンサーが付かなければ番組がやっていけない。番組がやっていけなければ TV 局としての格式が下がってしまう。視聴率の向上は至上命題である。
じゃあ経済活動としての色合いが薄い NHK ニュースが良いのかというと、それまた微妙な問題で、何故なら NHK は政府という立派なスポンサーがついていて、報道内容には別の偏りが生じている。政府の意向がどちらを向いているのかということを理解した上で見ることができれば、民放より読み解きは簡単だが。
……どう進んでもダメな結論にしか到らないので没。
現代人は、呆れるほど自分を甘やかすことを恥じていない。