貴方の身近に尊敬する(尊敬できた)人はいますか?
その人の尊敬するところと、ダメなところを挙げられるでしょうか?
一人でもキッチリ挙げられれば、たぶん貴方は大人の条件を一つクリアしている。
「貴方は身近に尊敬している人はいますか?」
転職したとき、聞かれた質問です。
この質問には正直、面喰らったモンですが。
なにせ「凄い」と(少なくとも僕が)思う人が、結構いるわけです。
みんな欠陥だらけなんですけど、ここが凄い、というのがあって。
両親から親戚筋から、あげると実際キリがない。
それに小・中・高に各一人の規格外教師。
社会に出てから知った、たくさんの現場人間。
みんな、どこかしら凄くて、どこかしら尊敬してるわけです。
それはまあ、時代別に分けて無理矢理 3 人(幼年期から父親、思春期からカメさん、社会人になってから先輩)に絞ったんですが……振り返ると質問からほんのちょっと外れてる気も。
ま、いいか。
一人一人、どこを尊敬してるかまで話したので時間かかりました。
「じゃあこれは飛ばして」
ものすごい心臓に悪いやりとりが対面で行われてから、
「あえてその人に諫言するとしたら、どんなことですか」
という質問でまた困る。
諫言。山ほど出てきます。
さっきも言いましたが、みんな「どこかしら凄い」のです。
そして同じくらい「どこかしら困った人」なのです。
どれだけ尊敬してる人でも、相対的に見たら欠点はあります。
第一、ただ「凄い」としか思わん相手に向けるのは、尊敬じゃなく崇拝です。
(崇拝対象になる人間なんて、29年の短い人生の中で会ったことありませんが)
だからまあ、諫言内容はいくらでも出るんですが。
……面接で話していいのか?
愚痴や悪口になりかねん話なんで、どーかなーとは思ったんだけど、話しました。
室内が妙に弛緩した空気になりましたが(笑)
どうでしょう。
貴方の身近に尊敬する(尊敬できた)人はいますか?
その人の尊敬するところと、ダメなところを挙げられるでしょうか?
一人でもキッチリ挙げられれば、たぶん僕は、貴方を尊敬できる。
この質問、身近に、というのがキモで。
歴史上の人物、遠い人物に向けた尊敬ほど、崇拝に近いものになります。
想像で対象人格を補強し、偶像を作り上げてしまう。
ところが身近にいる人間ってのは、偶像化しようとしても現実に妨げられます。
現実の力ってやつは、想像なんてものを簡単に吹き飛ばす暴風です。
うすっぺらな虚飾なんて簡単に吹き飛ばす暴風。
その中では個人の欠点なんて、ナンボでも見えてしまうものです。
思春期になると大抵、そういうモンを否定的に捉えちゃうと思うのですよ。
欠点を増大させて、長所をまともに見ようとしない。
たぶんそこには大人になろうとする、背伸びする心があるんでしょうけど。
(相手を下んずれば、相対的に自分が上になる。幼稚な精神病)
で、そのトンネルを抜けて、素直に誰かの長所を見られるようになる。
そこでやっとこ、まともに誰かを尊敬できるようになるのかなと。
でも、社会人になって過酷な競争社会に放り込まれると、人間、磨耗します。
そうなったとき、卑屈になったり屈折したりする人が結構多い。
そうなると、誰かを尊敬する気持ちってのは、薄れるようです。
そもそも人を尊敬するのって、エネルギーが要ることだと思うのです。
だからまあ、疲れてエネルギーが枯渇すれば、尊敬する心も薄れてしまう。
それは仕方の無いことなのかもしれません。
だからまあ、別にそういう人を蔑んだりはしません。
……しませんが、たぶん僕はそういう人を尊敬できない。
どれだけ実績を上げても、それは過去。
情報化され、死んだ人間の話。
偶像です。
たぶん今の疲弊した日本社会にとっては不適で、多くの人に「現実を見ていない」とか言われることなんだろうなと、漠然と思いはするんですが。
僕はそう思うという、まあ主観的な話です。