どれだけ大人になっても、自身で読み返すには有用だろう。
さておき。
降ろされた仕事がらみで呼び出しを受け、近所の居酒屋へ。
わざわざ足を運んでくれたところを見ると、一定の評価はしてくれたらしい。
少しだけ溜飲を下げた。
詳しい話を聞くと、どうやら社内の政争の具にされたらしい。
僕も野望を秘めたままのヤマ師だったので、苦笑いで応えた。
相手は面従腹背程度の腹芸ができなければ登れないポストにいる。
彼は年齢にして僕の三歳上。以前は同僚で、一時期は部下だった。
それが今では渉外責任者とフリーランスだ。
面白いと二人で笑った。
まだまだ登るつもりだろう。そういう目をしていた。
健康管理上の問題で、アルコールは最初の1杯だけ。後は烏龍茶。
愚痴れと言うが、それはしなかった。
代わりに概論を話すことにした。
たぶんもう、一緒に仕事はできないだろう。
彼には無益かもしれないが、手向けのつもりで話すことにした。
半分は、自分に向けた言葉だった。
【備忘録】
話したことを、改めて書いておく。
自省の道具くらいにはなろう。
○教訓めいた話は、あまり好きではない。
成功譚も失敗譚も、一定以上の意味を持たないものだ。
○そもそも全ての「状況」は同じではない。
個人ですら刹那の時間で別人になる。
まして「状況」には無数の人間が関わっている。
全く同じであるはずがない。
○汎用のマニュアルは最良でも共通言語にしかならない。
脳は元来、どこまでも細密な処理を行える。
処理できないと思うのは、怠惰の入口だ。
○教訓は自ら作るものだ。
他人の教訓をありがたがっても仕方がない。
そういう意味ではジンクスも同じである。
教訓もジンクスも、自ら作り出せる人間が独歩できる。
考えるか否か。それだけのことだ。
○言葉は端的がいい。
尽くすほどに乱れるなら、相手に委ねてしまう方が良い。
話し、聞き、刺激すればいい。
○生きた言葉はいつだって新たな世界を創造する。
個々人の共有する世界の姿は、実は少しずつ違う。
蛞蝓のように広がれば、いつか世界の果てにも届くのだ。