このところ、例の遺書をたくさん残して自殺した子供の話題が(不謹慎な表現ながら)盛り上がってるようですが。
緊急調査とか、なんか色々やってるようですが。
そういうモンじゃないでしょう、いじめ。
「正しさ」なんて知らん
このところ、例の遺書をたくさん残して自殺した子供の話題が(不謹慎な表現ながら)盛り上がってるようですが。
緊急調査とか、なんか色々やってるようですが。
そういうモンじゃないでしょう、いじめ。
性同一性障害(GID)の男性が、解雇不当で弁護士を通じて提訴した、らしい。
……というところから話をしますが、最初に断っておくことがあります。
僕はとても利己的で自己中心的で、なにより臆病です。
嫌なことは、したくありません。
責任の取りようが無いことも、したくありません。
そういう人間が考えたことなので、話半分に読んでください。
貴方の身近に尊敬する(尊敬できた)人はいますか?
その人の尊敬するところと、ダメなところを挙げられるでしょうか?
一人でもキッチリ挙げられれば、たぶん貴方は大人の条件を一つクリアしている。
「貴方は身近に尊敬している人はいますか?」
転職したとき、聞かれた質問です。
この質問には正直、面喰らったモンですが。
なにせ「凄い」と(少なくとも僕が)思う人が、結構いるわけです。
みんな欠陥だらけなんですけど、ここが凄い、というのがあって。
註:話がまとまってません。
メモ的に思いついたことを書き散らしているだけなので、悪しからず。
昨今、あらゆるミスを許さない(一度の失敗を論う)風潮があるようですが。
ものすごく気に入らん話で、でも社会がそうなんだから仕方が無いとか言われると、露骨に不貞腐れる自分がいます。
こと教育の場においてまで、ミスが許されんというのはいただけない。
なにも学校教育に限った話じゃないんですが。
学生時代、社内 SE だった人が言ってたわけですよ。
「社内 SE なんてやるモンじゃない」と。
当時の僕と言えば情報処理系の専門学校で遊びながら物書きをやっていた変り種だったわけですが、幼少期、それこそ小学校低学年の頃から憧れてたシステムエンジニアというものになってみたかったのですよ。
で、学校のツテで某銀行のシステムサポートのバイト(社内LANの設置とSunOS系サーバの管理まで)やってたんですが、その社内 SE やってた人が上記のようなことを言っていて。
脱サラしてン年の今になって、元同期の愚痴を聞かされて思い出しました。
考えはまとまってるのに文章にすると意味を持たない。
……ということが、結構ある。
こういうのは他の感覚器に訴えるようにすれば少しは変わるモンだろうけど、そういう手段で表現しようとすると、今度は自分の中でのまとまりを欠く。
ちゃんとした形では捉えられていない何者かが潜んでいる。
このままにしておくとフラストレーションが溜りそうなので、断片的に吐き出しておく。
書き忘れてたことですが、31日、テアトル池袋で『時かけ』見てきました。
二回目になります。
近年の僕にしては珍しいことです。
(映画は試写会で見るだけ。それなら仕事と言い張れるから)
テアトル池袋の閉館は寂しかったんですが、『時かけ』関連で嬉しかったこと。
ちなみに演劇やってる友人と一緒に見に行ったんですが、見終わってから
「質の良いファンタジーだった」
って話になって。
まったく同感だったモノで、えらい盛り上がりました。
(ジュヴナイルや、なによりエンターテイメントとして良い出来ですが)
妖精や魔法や騎士物語だけがファンタジーじゃねぇのよ、と。
(T)RPG やってると、どうしてもソード&ソーサリーやフェアリーテイルばっかりがファンタジーになっちゃうんですが、ファンタジーってなそんなに息苦しいモンじゃねぇと思うのですよ。
椅子を連れて散歩して、公園の犬で休憩したっていいじゃない(何)
サービスされることに慣れてしまい、物価に対する感覚が狂いきっているのが今の日本人なんだろうな、と思っている。
この十数年の不況/デフレの原因の一つは「消費の冷え込み」だったわけだが、それもまあ要するに「サービス=リスク無し」という(世界的に見て)キ印じみた概念があるせいなんじゃないか、と思った次第で。
“サービス考(物価考[2])” の続きを読む
ということで、こんな記事を引っぱってきた。
書こうと思って放ってあった話を、蒸し返してみる。
平沢進の音楽は大好きで、休憩時間になるとかけるのは、彼の曲か mama!milk のどちらかというのが最近の相場だ.
好き嫌いが明確に分かれるので、強く勧めることはないのだけど。
また仕事中に聞くにはパワーがありすぎるのも難点。
魂を地平に攫われてしまう。
で、まあその音楽家/平沢進が音楽著作物の扱いについてアレコレ語っている。
相変わらず独立独歩を地でいく人だ。
なにもかも自分の目で見て自分で判断を下す。
実に日本人離れしている。
このコラム(インタビュー?)を大雑把にまとめると、
「自分を取りまく環境に対して無頓着だと、カモにされるぞ」
というふうに解釈してみた。
大筋で間違ってないと思う。
まあ
「不本意というけど君、だったらやらなければいい」
という話を、居酒屋で大先輩とやらかしてたんですが。
もちろん自分の意志を貫くなんてことが、誰にでも出来ることだとは思っていない。多くの人が、妥協と我慢を重ねながら組み上げられた社会の中、むしろ自我を貫くと言うのは異常者の証拠ではないかと思うこともある。