前に構想メモの固定ページ作ってたの忘れてた。
- Labo > OutLine
こっちにざっくり書いてありますんで、読みたいのあったらテキトーに言ってもらえればと。
妖怪モウラに取り憑かれ
なんかもう今世紀に入ってからこっち、ひたすら用語の系による構造化――要はパタン・ランゲージ*1クリストファー・アレグザンダーのあれ。改めて読み直したくても『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』とかお値段が……みたいなこと――の作業をずっと繰り返してる感じで、これ何時になったら終わるんだろうかという。
今ってさ、もう新しいモノを見てソレについて語ろうとすると、前提になる共通認識が必要なレベルまで来てると思うのね。ゲームシステムの世代論なんて持ってくると「メンドクサ!」って顔される*2ちゃんとやるなら発表年代ではなく設計思想で線を引く必要があると思うんだけど、そのためにはまず設計思想について整理する必要があって、その整理自体がまだちゃんと行われてないか、あるいは普及していないので。んだけど、んだけど。ユーザにも世代*3こっちはまだ遊び始めた時期で大雑把に分けてもさほど問題ないと思う。要は情報格差の話なので。が出来てて、しかもそれらが混在してるのが現在の状況。
で、まあユーザの世代格差があるところで、自分みたいな古めの世代*4といっても第一世代ではないんだけど。の人間が語りたい「革新/挑戦」と、その前提になる「(過去の)課題」ってのがちゃんと共有できてるのかどうかが分からない。何らかの共通認識を共有するためのテキストがあるわけでもないし。*5遊びの界隈ではどうしたって、そういう「オベンキョー」って嫌われるからね。
だから個々の要素に関する認識についてイチイチ確認しなくちゃならんのだけど、そんなん面倒くさくてしょーがない。しかも共通認識が不足してたりしたら、それを構築しなくちゃ始まらなくて、もうそんなんやらなアカンと考えるだけでめんどくさい。実際にやろうとしたらもう、構築してる最中にヘトヘトになっちゃうのね。
なんで「コレ読んで」って言えるものが欲しい。
少なくとも自分が何か語るうえで前提になるモノが欲しい。
でないともう、いつまで経ってもなんとなく/ボンヤリと/しかし決定的にすれ違ったまま何度も同じことを繰り返さにゃならん感があって。
その方法が構造化ってのが、いかにも古くさいリベラル・アーツ主義っぽいやり口でアレなんだけどさ。
とはいえ脱構造化ってのが結局どんな手法なのか良く分かんないかんね。
何も構築せず、ただボンヤリと流れていくってのも悪いとは思わないんよ。実際そういう気楽さの中に集合知の面白さも有ったりするわけで。インターネットなんちゅーインフラもあるわけだしさ。
でも、そこにも常に無自覚に切り捨てているものが有って、しかも過去にリーチしないんで切り捨てたら切り捨てっぱなしになりやすいのがどーもね。
特にその切り捨ててきたものの中に面白さを見つけちゃうとさ。
構造化、パタン・ランゲージなんてとっくに枯れた技術なのかもしらんけど、自分が使えて一番手広くフォローできそうで、何度でも切り捨てる前に戻れる手法ってとコレくらいしか思いつかないんでまあ、しゃーないかという。
何しろ妖怪“モウラ”に取り憑かれてるので。
たぶん個人レベルではもっとディープに把握してる人もたくさんいると思うんだけどさ。
そういう人が全部やってくれたらイイのになーとも思うんだけど。
まあ有ったトコロで自分なりにやってみたいんで、やるのは変わらないんだけどね(笑)