[memo] 「なりきり」遊びの話

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先日紹介した、ねとぽよさんとこの連載が終わったので、感想をば。

+[[なりきり童貞たちが「HUNTER×HUNTER」でなりチャに初挑戦>http://news.netpoyo.jp/2013/05/321]]
+[[なりチャでは誰もがゲームマスター? trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<前編>>http://news.netpoyo.jp/2013/05/319]]
+[[TRPGは「なりきり」をどう捉えてきたか trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<中編>>http://news.netpoyo.jp/2013/05/539]]
+[[人間がキャラになりきる理由とは? trickenさんと「なりきり座談会」を開いてみた<後編>>http://news.netpoyo.jp/2013/06/691]]

だいぶ断片的なモン、あるいは分かりきった話になっちゃうかも知れませんが、思いついた先から書いていきますんで、話がとっ散らかっていくのを生暖かく見守っていただければ。
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*なりきる様々な理由

自分は昔、「なりきり」文化の端っこで遊んでたことがあるし、(T)RPGについては道楽と化してたわけで、[1]~[3]の流れについてはわりとこう、「うんうん」って感じだったんですが。

最後の「人間がキャラになりきる理由とは?」は刺激的でした。ド直球で交わされるポリシー。ステキ(笑)

***「なりきり」という秘密の握手

「なりきり」を自己紹介ツール、要は「名刺」のように使うという方法は、これ「なりきりチャット」で遊ぶ感覚とは違うわけですよ。本文中で言われてる通り、

>本当に「コミュニケーションの媒介項」としてのなりきりなんですね。

ということで、「なりきり」自体は目的ではない。

……でも考えてみると、あるクラスタの間でしか通用しない暗号のようなもの(名台詞など)を使って、互いが同じクラスタに属することを確認する行為には、いわゆる「秘密の握手」めいたアトモスフィアがあることを、僕らオタク層は知ってるわけです。

創作のキャラクターだけでなく役者さんやアスリート等のファンも、ファンの間でしか通用しない愛称/エピソードなどを話題の端緒にして、それ以外の社会的な属性を棚上げして遊んだりする。

この「社会的な属性を棚上げする」ってところがミソで。

「なりきり」が「自分でない誰かに変身する行為」である以上、それは自分の社会的属性を丸ごと入れ替える性質があるわけだけど、その前段階として「自分の社会的属性を消す」プロセスがあって、それが結局、誰かと仲良くなる/コミュニケーションを取る上でプラスに機能する。

ただそこにも程度問題があって、生活人としての属性を残せば「三次元なりきり」になるし、それすら消せば「二次元なりきり」になるし……みたいな感じで差が生まれたりするんだろうなァ、という。

ちなみに(T)RPGの「なりきり」は、それがゲームの目的という「ゲームプレイヤー」の属性を継承しつつ、それ自体はプレイヤー個人の属性からは乖離している意味で、両者の中間にあたる「2.5次元なりきり」になるのかなー……とか思ってみたり(笑)

***「なりきり」はキモいですよ

>正直言って、なりチャはキモいですよ(笑)。

これはアレですよね。(T)RPGやってる人間なら一度はブチ当たる壁なんじゃなかろーかと思ったりして(笑)

自分はこの感覚をずっと持ってます。未だに消えない。

「キモくないよ! 楽しいんだよ!」って言われても、「いやそりゃ本人は楽しいかもしんないけど傍から見たらキモいよやっぱり」って思っちゃう。小芝居としてのロールプレイって、そこに浮かび上がる変身願望と自己との乖離が恥ずかしいと感じちゃう。

この辺、なにげに幼児期の体験が関係するよーな気もしますが。他愛もないごっこ遊びを嘲笑われるとかね。兄弟の年齢が離れてたり、自分とは違う(そして程々に近い)世代との接触が多かったりすると、中二病に対する高二病というか、そういう感性がインプリンティングされる気がします……というか自分がそうでした(苦笑)

あるいは(T)RPGを含むゲームに対する批判の一種として「なりたいものがあるなら現実でチャレンジすればいいだろ」とか「あんなのただの現実逃避じゃねーか」というのがあって、こうした攻撃的な毒に中てられたり

なので変身するにしても自己との乖離が少ないキャラ、あるいは必ずしも理想的ではないキャラクターを選択することが多くなります。

故に(T)RPGでGMやってると、NPCにオッサン/オバハンが大量発生するわけです。

あれには抵抗がない。

お陰で「生活感と中年の可愛らしさに定評のあるGM」とか言われるように(笑)

***ルールを書き換える「モニタ」

そんなわけで自分にとって「なりきり」ってのは自己肯定力を必要とする遊びとして認識されてたりします。無いと理想と現実の乖離っぷりから際限なく羞恥心(?)が強化されていくので(笑)

が、まあそれでもオンラインセッションなんかじゃ普通に小芝居もするわけです。

よくオンセの効能として挙げられる「顔が見えないから羞恥心が薄れる」というやつですね。これもまあ、実のところ「社会的属性の切り捨て」なんじゃないかと思うんですが。

社会的属性。言い換えるなら「しがらみ」ですな。

「なりきり」は、こいつを取っ払うことができる。変身願望のうち、完全に乖離したところでのアグレッシブな遊び(無双したり滅びの美学に戯れたり)とはまた違ったところで、立場にとらわれない発言……発言というか「放言」ですかね。そういったものができる、というのもあります。

仮面舞踏会的なアレです。

日常の側から、はなっから非日常としてデザインされた仮面舞踏会の会場を見たら、そらまあ「恥ずかしい」「気色悪い」と思うのも道理でしょう。そこで楽しむ貴族とは別の、飲食物を運んだり片付けたりする従業員からすれば「ナニやってんだコイツラ」ってなモンだと思いますし(笑)

とはいえ非日常がデフォルトの側からすればそれが常識なので、むしろ日常の感性の方がオカシイという。

「モニタ」という第四の壁に隔てられた向こう側。映画やテレビといったメディアによって構築された「必ずしも現実味を必要としない世界」。そこに「なりきりチャット」という場があることで、この辺の「常識」という社会のルールを切り替えて、しがらみを忘れて遊ぶ快感というのも、あながち否定できないモンだったりして。

この辺、遊んでる側としては割り切りがハッキリしていて、たとえばブラウザチャットで遊んでた頃なんかも、チャット上では思う存分「なりきり」を堪能してるのに、同じサイト上でもチャットから離れたところでは普通にプレイヤー/本人としてやり取りが行われ、またそうであることが求められたりもしていて。

なのでこの「なりきり」が、日常空間に持ち込まれると「キモい」というのもまた道理なんですね。要は「その場をどう認識しているか」で変わる。Twitterのなりきりbotなんかも、そこを日常空間と認識してる人から見れば「なんじゃこりゃ」だし、娯楽の場として見てれば「あるあるww」だろうし。まあそういうモンだろうなーと思ってます。

どっちかに視点が偏ったり、自分のポジションをゴリ押しすると、この辺うまく相互理解が構築できなくて面倒なのよねー……と、長年ゲームの場のセッティングに苦労してきた人間としては苦笑いを浮かべたりもするわけです(笑)

まーこれだけでなく「キモい」って言われる理由は色々とあると思うんで、外向きの言葉が必要になるなら、その辺はちゃんと考えたがいいよね。とかテキトーに投げっぱなしでコレはオシマイ。

***自分でゲームデザインをする遊び

>僕にとってのなりきりは、好感度上げゲームでしたね。

前に[[「なりきり」とPBM>http://blog.talerpg.net/gento/archives/3445]]でも触れたんですが、自分で(それが漠然とであれ)目的とルールを決めて(要はゲームデザインをして)プレイする遊び方で、PBMを始めとする多くのマルチゲームで推奨される楽しみ方。

自分もコレです。別にギャルゲーマーではありませんが(笑)

tricken氏も「共同ゲームデザイン」の話をさらっと出してたりして、内心「こやつ、やりおった喃」と呵々大笑していたわけですが、それはさておき。

コミュニケーションをゲームとして捉えること。発話等によって書き換えられていく状況は、それ自体をルールの書き換えとして認識することもできるわけですね。状況が変われば、適切/不適切とされる行為も変わってくるわけですから。

その昔、「なりチャ」と(T)RPGとが縁近かった(というかユーザがほとんど重なってた)環境では「台詞」と「地の文」の記法なんてのを提案してるトコもあったりして。台詞は「」で括れ、地の文は()で括れ、とか。まあ台詞と地の文が混じっていなけりゃ構わない(どちらかが守られていれば区別ができるので良い)となってグダグダになったり、別のパターンとして「()は心象表現に使用する」「地の文は客観的事実として括弧でくくらない」みたいな記法が出来たり色々だったんですが。

中でも「確定ロール」といって、自分以外のキャラクターの状況を確定してしまうプレイを禁止する向きもあって。この辺はマナー、モラルとして考えることもできるし、もちろん(ログを読み物として鑑賞する等の)創作のルールとしても考えられるんだけど、ゲームプレイとして相互にフェアなルールを提案したとも考えられるよなー、とか。

今はどうか知らんのですが、一時期は「なりチャ」って言うと恋愛モノっぽい展開を見せることが多かったので、この辺、特に厳しかった。自分はそういうとこではプレイヤー参加してなかったんですが(女性限定のトコが多かったしね)、管理者さんにログと合わせて相談されたりしてたのでまあ、色々と見てきちゃったりもしてます(苦笑)

それは表現における行為と感情の関係性だとか、イチャコラ楽しみたいだけなのに勝手に三角関係イベント開始されても邪魔になるだけとか、キャラが自分の分身だったり架空の第三者だったりのダブスタで暴れまわってくれちゃう人がいたとか……他にもイロイロあるんですが、その場をサンドボックス(外部に悪影響を及ぼさない保護領域)として扱うためのルールがないと、共同ゲームデザインに必要となる「自動承認」が機能しなくなるってのもあったりして。

***恋愛モノと女性限定

これは今ちょっと思いついたんだけど、そういや当時は「恋愛なりチャ」が“雨後の筍のごとく”な印象だったし、それと同じくらい「女性限定」ってのが目立ってたんですよね。

そこに至るまでには、まず「恋愛NG」なんてルールが提示されるなりチャが出てきたコトがあって。「なりチャで恋愛する」ことによるトラブルってのが、数が多かったのか、深刻な結果になることが多かったのか……とにかく問題視されるくらいには有ったと。それから「ならば恋愛モノ単独で立てればいいじゃない」っていうことで、フォークして増えていったんだとは思うんですが。

同じように、「恋愛なりチャ」における「性差のトラブル」ってのが結構あって、それが「女性限定」の看板を容認することになったのかなー? とかね。

そして当のねとぽよさんでは「なりきり文化」を「女の子の文化」と見てたりして、それが適者生存の淘汰による結果なのか、もっとコアになんかあるのか、とかモヤモヤ考えたりもしました。

答えは特に無いです(笑)

そもそも外縁で眺めてた人間なので、本当に上記のような変遷だったのかも確証ありませんし。

***と言ったあたりで

投げっぱなしで終わる。
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