『銀の匙 Silver spoon』の 5巻を買ったわけですよ。
んで読んだわけですよ。
相変わらず面白いよねコレ。
ページの内容
荒川弘作品の好きなところ
変換で「数寄な処」と出たせいで、つい別ネタに走りそうになるのを抑えつつ。
唐突に「好きなところ」とか言い出しちゃうのもドーかって話ですが。
表現として好きなのは、大きく分けて二つ。
- 恋愛が生活の中にある
- 真面目者に肯定的
恋愛が生活の中にある
[1]については何というか、「恋愛」が物語の主軸ではなくアクセントとして機能してる、みたいな感じ。
なんかこう、物語的にはドラマティックな「大恋愛」が求められそうなところ、「そう描いちゃえば分かりやすいのに」っていうタイミングで、ポソッと匂わせるカットを混ぜ込むだけで流しちゃう。でもそれが伏線としてテーマにも絡んできたり、小さい笑いを誘うギャグに落とし込まれたりする、という。
無駄がない、とでも言うか。
たぶん「恋」より「愛」のウェイトがデカいんだよね、とか思う。
それがとても心地良い。
いやココで「恋」と「愛」の定義を求められると困るんだけど(笑)
そういう、作風というかこれたぶん作家さんの気質だと思うんだけど、そう考えるとこの人、いわゆる昼も夜もなく耽溺するような色恋って描けないんじゃないかなーと思ってるんですが。
そう考えると生活や生死がものすごい身近なところにある「農業高校」っていう環境は、氏にとって最良の「学園ラブコメ」空間なのかもしれないなァ……とか(笑)
真面目者に肯定的
[2]については、僕の好きな作品を並べてみると、概ね共通したテーマなんですが(笑)
質実剛健というか、真面目なキャラ、真剣なキャラが他のキャラから肯定されるのね。
どっちかっちゅーと今って「真面目君=ウザい」って空気というか、なにかに真剣になってる人に対して斜に構える、マトモに取り合っちゃイカンみたいな同調圧力があるよーな気がするんですよね。それが成功者の言である場合のみ、尊崇の対象となるんだけど。
で、漫画作品の中でもそういう表現が結構目について、主要キャラのスタンスについて無理解な環境を作って、他の同じ価値観を持った「真面目者だけのコミュニティ」を形成するよう促す。共感を強めるようにデザインされることが多いと思うのね。そういう社会が「リアルである」というか、リアリティの表現として「正解」になってんのかなー……というのは自分がヒネてんのかもしれませんが。
そういう中で、確か 3巻の最後の方だと思ったけど、八軒が“豚丼”を見送った後*1[八軒が“豚丼”を見送った後] = 前に書いた「うん、/うん。」カットの後で、授業で屠畜場の映像を見る場面があって、あの時視聴覚室に行かなかったモブキャラが屠畜場の話をしてるときに――
「何でも真剣にやってるのはかっこいいよなー」
――みたいな話をしてて。(セリフちょっと違うかも?)
このセリフ書けるのスゲーなって思ったのね。
まあこのエゾノー、特に八軒のクラスは将来の目標がハッキリしてる連中が多い*2[将来の目標がハッキリしてる連中が多い] = これも確か 3巻の記述らしいんで、そういう職人芸に対して真摯に向き合ってる連中が多いってのもあると思うんだけど、これをモブ*3[モブ] = モブといっても名前はあるようだけど。 に言わせるって結構ハードル高い気がすんのね。
しかもそれまでの流れ、特にまあ八軒の夏バイトのエピソードで、そのセリフがちゃんと地に着いたものになってんの。
農業高校の学生ってこんなレベル? スゴくね?
で、5巻だけど
繰り返しになるけど、面白いです。
で、上に書いたような流れが強化されてるんだけど。
特に真面目なヤツに対して「真剣にやることを楽しむ」という、ある種の完成形と言えるモデルも提示されました。
真剣であることが重くなり過ぎないよう、ギャグに変えてサッと流しちゃうセンスも健在。
いや、ホント好きだわこの漫画。
というかこの作家。