見てきましたよ『ベルセルク 黄金時代篇II ドルドレイ攻略』!
やっぱ合戦シーンの迫力はスゴいね!
で、まあそういう大画面のスクリーンによる強みをちょっと横にのけると、とっても評価の難しい作品に仕上がったなーと思いました。
ちょっとまた、映画館を出てすぐに書き出しておいた走り書きのメモを、文章に直して垂れ流してみます。
ページの内容
BERSERK Movie2 鑑賞メモ
pre – movie “BERSERK 2”
さて、そんなことより映画である。仕事の方では久しぶりにダラっとした余裕のあるシフトが続くので、気分は相当ダラけている。放っておけば確実に「外出するのも億劫」という省エネモード突入は目に見えている。そうなる前に行かなければ。
そんな事情で朝駆けすることにした。朝駆けといっても昼前なのだが、最近は夜更かしをすることが多いので、いつもなら寝ている時間である。空は薄曇り、気温もそれほど高くなっていない。ちょうど良かった。出かけるとしよう。電車移動。電車内は冷房が効いていたので長居したいなと思ったが、20分ほどで到着。外に出たらちょっと空は晴れていて、気温もやや上がっていた。ぶっちゃけて言えば暑くなっていた。まあ駅のすぐ近くの映画館なので、それほどうんざりした気分にならずに済んだけど。
チケットを切り指定席を選ぶ。全席指定のシネコン方式について、アレコレ益体もないことを考える。気を取り直して入場。今回はそれなりの緊張感があったので大丈夫だろうと判断し、ポップコーンは買わないでおく。さすがに平日昼間の上映、それも上映20分前とあって、入った劇場には誰もいなかった。ゆうゆう最後尾席の通路側に腰掛ける。スクリーンを真正面に捉えられて、とてもよい。
携帯電話、スマートフォン、3DSの電源を切る。3DSといえば、家からここまでの間、約1時間ほどの移動時間で「すれちがい通信」では11人とすれちがっていた。平日のこんな時間でも持ち歩いてる人はいるんだなと感心し、電源を切る。ポツリポツリと観客が入ってくる。中には明らかに学生服姿の少年少女たちの姿も見えた。君ら学校はどーした。あれか、テスト期間中とかそういうヤツか?
review – “BERSERK 2”
(ネタバレにつき非公開)
impre – “BERSERK 2”
前作については予想通りだったと書いた。だが今作はどうだっただろうか。
あまりよろしくない前評判も聞いていたし、「ドルドレイ攻略」でどこまで話が進むのかについても知っていた。だから展開についてはある程度の予測をしていた。だが正直に言うと、これは予想外だった。想像以上に省かれたシーンがあり、はっきりと意識して「再構成」しているのが見て取れたためだ。
そのため「原作ファン」として評価するのが難しい。連載作品として時間をかけて積み重ねたモノによって描かれる物語と、限られた短時間で一挙に押し流される物語とでは、見せ方が変わることはむしろ当然なのだ。それは単に「原作を映像化したもの」ではなく、原作に寄りかかって「欠落部分は原作を読んで補完して下さい」というものでもなく、まぎれもなく「映画」だった。
だが原作ファンとしては、やはり原作が描いてきた物語を映像化することで、より濃密に追体験したいという願望もある。だからどうしても否定的になってしまう心境も、分からないではない。書き残しておこう。私は今作についてひとつだけ、大きな不満がある。
グリフィスのある過去についての描写が、ごっそり抜け落ちていたことだ。原作ファンとしての自分は、そのシーンが描かれていないことについて動揺した。それについて匂わせる会話はあったものの、それでは足りないと感じた。描く方法はあったはずだ。そしてそのシーンがあることで、今作で濃密に描かれていた別のあるシーンのグリフィスの様子に、とても大きな意味が出てくる。彼がそうした理由について、思い当たるフシが生まれることになる。ただし、そのシーンを描いてしまうことで壊れてしまうものがあることにもすぐに気がついた。それを描いてしまうと、別の事柄についても描かなければならなくなるのだ。だがそれには時間が足りない。繰り返しになるが、月刊連載の漫画と、劇場公開の映画とでは、表現特性が決定的に違っている。同じアプローチをしようとしても、全く異なった結果になってしまうことは目に見えている。同じ事が可能になりそうなものといえば、いいとこテレビアニメくらいのものだが、アレはアレで別の問題が浮上するので今回は考えないものとする。(アニメ版『刀語』の月イチ放送ってスタイルは、良かったと思うんだけどね)
前作の最終カットを思い出す。ガッツ、グリフィス、キャスカの三人の姿によって終幕となり、次回予告となった。この映画『ベルセルク 黄金時代篇』は三部作である。一部90分として、全部で270分。それはとても短い。そこでこの作品では三人のキャラクターに物語を集約させ、濃密で重厚な原作についての再編を試みている。前作はガッツの物語だった。今作はキャスカの物語だったと言ってよいと思う。第三部、「降臨」はグリフィスの物語となるのだろう。次回予告からもそれは見て取れた。
そのため……つまり今回はキャスカの物語であったために、描かれなかったのだ。
本作は三人の主人公たちの物語として作られているように思う。だが原作の黄金時代の主人公は、その三人たちを含めた「鷹の団」という一個のファミリア、その「夢の篝火」であったように思う。本作では、もっと直接的に、三者は相互に結びついている。私が「何故描かなかったんだ!」と瞬間沸騰しかけたエピソードについては、「鷹の団」についてもっとしっかりと描かなければ生きてこない。主人公たちの互いへの思いが、どこかで雲散霧消してしまう。
それは分かる……でもアレがないとあのシーンのグリフィスがさ!(そしてそれを描くことが栗本薫リスペクトという……コレは蛇足か)……書いたことで少し落ちつけたので、もう少し続けよう。
原作ファンとしての不満があるからといって、本作の評価を下げることは出来ないと考える。前回のレビューでも書いた通り、これは本当に丁寧に、誠実に『ベルセルク』という物語と相対していると思うから。安易な二次創作のようなモノでもなければ、安直に「原作通り」に逃げたものでもない。劇場の大画面で『ベルセルク』を見るなら、数ヶ月ごとという長めのスパンで追いかけるなら、といった条件下での最善を掴み取ろうとしている。映画館で初めて『ベルセルク』を目にする人を、きちんと視野に入れている。
ぶっちゃけた話、原作通りの『ベルセルク』の映像化を見たければ、テレビシリーズ『剣風伝奇ベルセルク』を見ればいい。劇場版の公開に合わせて近所のTSUTAYAにもDVDが入荷していたっけ。あちらはあちらで及第点以上の出来だと思う。原作に通底する描写の姿勢、物語をどう描くのか? といった事については、はっきりと共通したものがある。キャラクターの内面について物語の側からは言及せず、事実として起こった出来事について「世界から切り出してきたように」描きながら、徐々に輪郭を浮き彫りにしていく。物語の過去から現在に至るまでの環境や経験によってキャラクターは受肉する。原作について言及するなら、フェムトの誕生や降臨に至るプロセスはとても象徴的だったと思う。そしてこの映画版についても、そうした姿勢が貫かれているように思う。
そうしたルールによって、原作を侵食することなく原作とは異なる条件下で最大限の戦果を得ようとしている。これは驚異的なことだ。そうした、とてもナイーブな仕事をする理由は何かと考えると、いささか申し訳ない気分にもなる。言葉はもっと慎重に、丁寧に編まなければならない。なんだか言い訳じみたことも書いてしまったが、今作もとても楽しめた。立派に一本の映画として成立しているし、前作と続けてみれば血肉湧き踊るものがある。剣と魔法の……おおっと、まだ魔法は登場しないのだから、ここでは「剣のファンタジー」とでも言うべきか。三人の人間たちによる意志の物語。友人には薦めよう。
(それにしても「剣のファンタジー」とは、どうも座りが悪いな。なにかいい言葉はないだろうか)
メモでは気難しそうな文章になるんですよね、なんか(笑)
ちょっとね、本音を言えば「各シーンのニュアンス」とか「原作との対比」とかについてウニャウニャ語りたい心境なんですよ。
なんか「原作と違う」ってダケでバツ出してる人が結構いるみたいで……でもそれはそーじゃねーんだよ! ちゃんと成立してんだよ! 同じシーンだけど物語上の意味はちょっと違ってんだよ! ……と言ってやりたい(笑)
でもそれブログでやっちゃうと壮大なネタバレになっちゃうから。だから我慢の子なのです。
まー明日も休みだからってんで、もう一回見に行くんですけどね。今度は友人と一緒に!
そして既に観たってヤツとも合流して、明日はガッツリ語り明かすのですフーハハー!!