Twitter でちょろっと書いたことのマトメなんだけど。
行儀作法には(全部が全部じゃないけど)それなりの理由があるのじゃよ、という話。
考えてみれば道や礼法、純朴な信心に興味を持ったのは「敷居を踏む=おやじの頭を踏んづけるのと同じ」というタブーからだった。(続)
(継)子供心に「敷居と親父は関係ないだろ」と思ってて、だから礼法にも身が入らんかったんだけど、ある時こっそり教えられた道理が面白くて、それから身を入れるようになった所がある。(続)
(継)つまり「敷居を踏めば家が歪む。家が歪めば柱が歪む。柱が歪めば住みづらくなる。地震に負ける。親父ってのは家の大黒柱のことだ。家を大事にするために、少しでも長持ちさせるために敷居を踏むな。」という話。(続)
(継)ただ、この手の道理には必ず「じゃあ家なんか倒れてもいいから敷居踏んでもいいよね」っていう人間が出てくる。子供なんか家の大切さなんて分かんないし。そういう相手には家とは別の、もっと直接的に怖い「親父」を持ってきて行動を制限する。礼法には、そういう技術がある。(続)
(継)あ、続かないです。ゴメンナサイ。
「礼法」って書いてるけど、まあ行儀作法くらいの話ですわな。
この例えでいくと、「敷居を踏んづけてる家と、踏んづけない家とで、家の耐久度が違った」みたいな話があったとき、もしその理由がわかってなかったりすると、「これは家の守り神が怒ってるんだ」みたいな理由付けをしてタブー化されるケースもあります。
理屈は分かってないけど成立する法則、つまりは「魔/法」なんですが、そういった経験則をマニュアル化したものが「行儀作法」の中に埋め込まれているんだよ。
……と、子供心に吹きこまれました(笑)
また、これも本当かどうかは分からんのですが、換気や採光なんかを目的とした「欄間」なんてスペースもあるけど、そこに飾り細工を入れることで目的以外の利用をされないように予防してる……なんて話もありましたな。
梁に重いもん吊って歪ませるな、という話なんでしょうけど。
こういうところに家紋や家格、守り神だったりを入れるってのも、プリミティブな先祖崇拝につながってたりします。
古いもの、伝統とか言われるものの中にある、一見、なんの為にあるのか分からんようなもの、まったく実用的でないようなものも、角度を変えて見ると隠された意味があったりするんじゃよー! というお話。
もちろん現代では無効化されてるものもあります。
だから全部が全部、昔のまま継承すりゃあいいってもんでもないんですが。
現代の環境では不要だからって、昔の人が無知だった……というわけでもないんですよー、と。