5分で書くシリーズ。
話が続き物になってきちゃって、ちょっとヤバい感じ(笑)
新しく発売された色んなシステムを見て、実際に遊んでみて、面白いと思ったトコとか、トリッキーだなーと思ったトコとか、まぁ色々あったんだけど、なんだかんだ言って僕には「作る」とか「生活する」ってのが性に合ってるんですな。
そこにリアリティを感じるというか。
ゲームシステムやワールドセットには各々コンセプトがあって、それによって描かれるストーリー、遊べるゲームの形質が変わってきます。
ゲームシステムには二つの顔が有って。
ひとつは純粋な数理。勝利条件と資源運用について考え、それにテクスチャを貼り付けることでゲームの特色を表現する、言うなれば「数学者の遊戯メディア」という性質。
もうひとつは、それとは別。前者で「テクスチャ」とされる情報群を、いかに加工し、あるいは編集しながら“あるもの”の断片を描写するか、という「文学者の娯楽メディア」という性質。
ちょっと勿体つけたような書き方になっちゃいましたが、ここでいう“あるもの”は、たぶん人によって「物語」だったり「ストーリー」だったり「おはなし」だったり「シナリオ」だったり、まぁ近いようでいて、それぞれ別のニュアンスを持った言葉で語られるので、こうして書くしかないかなァ……とか。
ちなみに僕は、“あるもの”には「リアリティ」を入れます。
それでまぁ、ゲームシステムを選ぶ時も、こいつが最重要課題になります。
「リアル」ではなく「リアリティ」
「現実」ではなく「現実らしさ」
小説でも何でも、人に何かを訴えかけるだけの力を持ったコンテンツには、リアリティってのがありまして。荒唐無稽な夢物語の中にも、人間の真実を突くような一点が見出せれば、それは突如として現実味を帯びてきたりします。
真実を混ぜて嘘をつく。ペテンの基本です(笑)
そうしたリアリティ、ある条件下において「そういうことは起こりうるかもしれない/起こるものだ」とかいう因果を入出力するのがレフリーで、ゲームシステムはそうした因果の補助装置だ、とか思っていて。
逆説的に、そうしたゲームシステムが描く因果の物語と、ユーザが考える「現実らしさ」が近似値にあるものが、レフリーが入出力の補助装置として使うのに「相性がいい」もの……という考えです。
リアリティはコンセンサスの根幹だろうと思ってるので、こいつの一致が“楽しいゲームの要点”だよな、とか。