アー!
パニックしてます。
考えがまったくまとまらない。
教育とかSFとかゲームとか。
感情論とか似非科学とか消費原理とか。
必要なのはデータベースと多元的解釈であって、十人十色の個性に対して一元的なマニュアルによるアプローチは小賢しさを誇る愚者の言で、だからといって個性を重視するあまりマニュアル化は不可能と投げ出すのも無責任な凡人の言で、しかしそれが消費者の基本的な立ち位置であって、消費経済のためにはプロフェッショナルとアマチュアは乖離することが推奨され、しかしそれは緩やかな退廃を招くことでもあって、世代を超えた歴史あるスポーツであれば、むしろプロとアマチュアの精神性は乖離の必要はなく、民度を高めることはスポーツの本来的な市民権を確立し、だからつまり……つまり俺は何が言いたいんだ?(笑)
ああ、ゲームに集約しよう。
僕にとってゲームは着衣のようなもので、個々の着衣ってのは誰がどう着こなすかでまったく変わるでしょう。
東京ガールズコレクションでモデルの着ているモノをその場でケータイから買うことが出来るってシステムは面白くて、アレは見事に煙幕が焚けてる。自分に合うかを検討してる余裕を与えずプレッシャーを加え続けるのは、ファッションのビジネスプランとして一つの極点に至ってるんじゃないかという。
日本人女性がファッションに一番金をかけてるってのも、まんざらウソじゃねーんじゃねーかとか思いました。まあ、アンケートはたぶん若干ずつ見栄を張ってるとは思いますが(笑)
……て、イカン。また脱線した。
ゲームは着衣。つまり着こなし(運用)が大事で、システムデザイナーの設計コンセプトっていうのは必ずしも重要視しません。いや自分で作るときは重要視するんだけど、遊ぶときにそのコンセプトを踏襲するかっていうと、意外と無視することが多いのね。
システムデザインの中のコンセプトデザインってのは核で、そういうのは判定の確率や数値変動、特殊ルールで大体表現してるハズなんですよ。それ以上のモノ(例えばF.E.A.R.ブランドのゴールデンルールのようなもの)ってのは、ルールではなく運用で処理するもので、その辺はゲームマスターの方が経験から考えたり生み出したりするモンだろうと。
しかしまあ、そうするとゲームマスターは経験を積んでないと上手い運用ができなくなるんで、ゴールデンルールにはその辺の底上げをする価値は、ちゃんと有るわけです。言ってみれば、ゴールデンルールは、ファッション誌の「この夏の流行」みたいなモンでしょうか。合わせておけば最低限のボーダーを守れるような。(それも本当は誤謬があるんだけどさ)
……とか。
だから何なんだ? 良くわかんない(苦笑)