どこかから嘘です。
そもそも私が入院したのは心臓震盪という聞き慣れない症状で、どうやら小児期の突然死の原因の一つらしい。心臓にショックを受けることで心室細動の原因となるという。
職業柄ペースメーカーを付けられないため、仕事場にAED講習を受けたメディカルスタッフを常駐させている。そのお陰で命拾いをしたようなものだ。私はその時点では意識を失っていたが、現場にいた別のスタッフによると、実に手際よく処置してくれたらしい。転倒後三分で蘇生したと言うから、脳への障害もほとんど無いだろうとのことだった。
そんな次第で、治ってしまえばケロリとするのが心臓だと笑われながら、大事を取って五日ほど入院することになった。病院側の都合とか、はっきり言えば親馬鹿の類だろうことは想像に難くないが、毎度世話になっていることだし、ゆっくり休む口実にもなる。その手に乗ることにした。
で、五日経って退院。病院は空調設備が弱いというか、ぶっちゃけ暑かったが、患者の相談に乗ったり、友人の相談に乗ったり、看護士の相談に乗ったりしていれば、暇と思うことはそれほど無かった。三日目までは、まったく無かったのだが、四日目に暇を自覚してしまった。あと一日伸びていたら、退屈のあまり壁にボールを投げ続けていたかもしれない。
とにかく私は退院した。
で、今、私は再び病室にいる。……ああ、驚かなくていい。患者として入っているわけではないから。
私の目の前には……目の前にはノートPCがあって、今書いているこの文章が表示されているが、ちょっと右を向けばそこには、悄然とした友人が眠っている。
友人は出血性のショック(?)で、どうやらあまり意識がはっきりしていないらしい。あるいは意識をはっきりさせたくないのか。まあ、どちらにせよ今のところ、あまりまともな受け答えは出来ない状態にあった。
放っておくと、点滴の針を抜いたり傷口をかきむしろうとしたりするので、あまり目が離せない。家族を呼ぼうにも連絡先が分からない。状況が状況なので、友人の携帯電話を見てみたが、メモリーにもそれらしきものはなかった。
仕方がないので私が面倒を見ている。
なんでこんなことになったのやら。
退院した私は、その足で家に帰るのもちょっと億劫だったので、ひとまず友人宅にでも顔を出そうか――ここ何ヶ月か会ってないし――と思った。まあ、その気まぐれが、そもそものきっかけだったわけだ。
小さなアパートメントである。白い綺麗な外壁パネルが、ちょっとだけ好きなデザインだ。二階建て。前には小さな駐車スペースがあって、「ボールあそびきんし」の標語がある。何年も乗られていなさそうなメルセデスが、元の美しいノワールの姿が思い出せそうにないくらいベコボコに凹んでいた。子供のしわざだろうか。修理にどれくらいかかるんだろう? なるほど、ボールあそびきんし、である。
アパートの外壁と同じく白いパネルで覆われた階段を登る。内側の手擦りが、くどいオレンジ色に塗られていた。台無しだ。しかしまあ、これならひどい近視や老眼でも気付くだろうな、とか思った。
友人の部屋に向かう。二階の一番奥だ。マットな緑の床の色が、なぜだか「アパートらしさ」だと思う。雨が吹き込んでくると滑りそうだ。いや、前に一度転びかけたこともあったか。踏みしめる感覚を意識すると、あの日の土砂降りの雨の耳障りな音が、聞こえるような気がする。もっと微妙な傾斜でもよかろうものを、水はけが良くなるようにだろう、いささか過剰なアーチになっている。かえって歩きづらく、足が取られやすい廊下だ。
退院直後だからなのか、そもそもの性格なのか、あるいは何かを予感していたのか――たぶん二番目だろう――、いささか神経質が過ぎるだろうと自覚するほど、感じた情報にいちいち寸評を加えながら歩いていく。
二階建て、四室しかない小さなアパートの友人の部屋に行く、それだけの話がよくもまあここまでの分量になるものだ。呆れるしかない。
そうしてたった七メートルそこらの廊下を歩いて、友人宅の玄関前に辿り着いた。なんとなく、外の風が強くなったかと思った。先週の台風のことを思い出す。あれは凄かった。今また沖縄本島に接近中らしい。亜熱帯は大変だ。
耳障りな音がする。防風だか遮界だかの木々が、葉をこすらせて嫌な音を立てているのだろうか。だが廊下の窓を見上げても、木々の陰は揺れていない。そもそも耳障りな音はもっと低く、ふくらはぎの辺りに響いている気がする。
嫌な予感。
チャイムを押すべき手は、ドアノブにかかった。ひねり、引けば、抵抗もなく開いた。この部屋の住人はこれほど無神経ではなかったはずだが。泥棒? 強盗の類であれば、面倒だ。空き巣であっても窮鼠は何をするか分かったものではない。ドアに隠れるように、ドアを引き開ける。反応は無い。代わりに今度こそ流れる水音が耳を叩く。
玄関に回って、意識を周囲に散らしながら、土間を見る。靴は乱れていないし、砂埃も見当たらない。侵入者がいたとして、玄関の側から侵入したわけではなさそうだ。立てかけられたままの雨傘を取り、開いて前に構える。狭い空間では威嚇と防御くらいにしか使えないが、距離をとるには十分である。
土間のサンダルを蹴って、玄関のドアが閉まらないよう止めておく。緊急避難の準備完了。
調査開始。
水音がするのは、ユニットバスだった。状況が分からないので、ドア前に椅子を置いて後回しにする。各部屋の安全確保を優先することにした。この判断は間違いだったわけだが、その時点で他に私には判断のしようがない。私は臆病で、こんなところで殺されたくはない。日本にいながら海外生活の感覚にスイッチしていたのは、私の誤認か、現実か。
曇りガラスのドアを開けて、次の部屋へ。物音はしない。仕切りのカーテンがしめられていなかったので、漠然とだが部屋の中は見えていた。侵入者がいれば、私の姿もとうに見えていたことになる。銃でもあれば撃たれていたかもしれない。そのための雨傘は、しかし何の意味もなかった。
部屋を見回し、一見して侵入者の影は無い。いつもの友人の部屋と大差ない。本が少し増え、部屋の隅にわたぼこりが見えるくらいだ。念のため、雨傘をもう一本持ってきてクローゼットを開けてみるが、反応無し。
ここで私はようやく状況を理解し、ユニットバスの戸を開ける。
流れ続ける水。
満杯の浴槽には、薄く赤いもやがかかっている。
おもちゃじみた乳白色の穴あき包丁。
肌色の大きななにかが、浴槽に右腕を突っ込んでいる。
「……ほう」
私の呟きが、どんな声音だったかは知らない。
緩慢な動きでその右腕を浴槽から引き抜き、血の気の抜けた蒼褪めた身体を抱えると、携帯電話で119をコールした。救急隊員とやり取りしながら、横たえ、右手首を掲げさせ、水気をふき取り、タオルで手首を抑え、腕を縛る。
おかしなところで冷静だった自分は、ちゃんと携帯電話にイヤホンマイクをセットしてから電話をかけていたことで、おかげでフリーハンドで処置できたのだが、自分がどういう神経をしているのか、今考えてもまったく理解できない。
救急車はちゃんと仕事をして、友人は近くの救急指定病院、つまり私がつい数時間前まで世話になっていたそこに担ぎ込まれることになった。
すぐに輸血と血管縫合の手術が行われる。傷口は大きく、どうしたって跡は残るだろう。今後、夏でも長袖しか着られなくなるだろう。もうじき秋冬モノになれば、いくらか隠すことはできるだろうけど。来春までに、目立たないようになってたらいいねぇ、とか生死の境にいる人間に、全然ズレた心配としていた。結局、動転していたのだろう。
ドクターに「ご主人?」とか聞かれる。またか、と正直うんざりしつつも「いえ、友人です」と答えると、いささか困った表情になっている。ああ、また嫌な予感がしてきた。
「ご主人か婚約者か彼氏か、でもないよねえ?」
――違いますよ。
「いやまあ君の事は色々聞いているけども」
――……何を?
「もう一つ手術することになるんだけど、許可がなあ……」
――(お腹)でしょ。
「……君、本当にその辺りの事情は知らない?」
――知りませんよ。ここ数ヶ月、何の連絡もとってない。
「連絡先も知らないよねえ」
――知りません。
「仕方ないよねえ」
――と、思います。確実な方を、人命第一で。
「だよねえ」
――僕に権利はありませんが。
「仕方ないよねえ」
――ええ。かぶれる責任はかぶります。
「じゃあ、そういうことで」
――お願いします。
酷い話だろう。自殺するのも見殺しにするのも友人の勝手であった。助けるのも殺すのも私の勝手である。もう一人、私の知らない身勝手な男がいるはずだ。その三者の勝手で、一つの命は失われたことになる。
目が覚めたら、どうするのだろう? また死のうとするのだろうか。だが落ち着いて少なくとも右手首の傷が癒えるまでは、そうさせたくは無い。
遺書も無かったところを見ると、発作的なものか、あるいは完全な死を選ぼうとしていたのか、どちらかだろう。縦に切り裂いていたところから、たぶん後者ではないかと思った。救難信号を受け取った人は、私が連絡をとって聞いた中では誰もいなかったし。だとすると私はまったくの余計なお節介を焼いただけで、それが友人のためになったかどうかは分からない。
自殺というものは、本当にその処遇に困る。それが気心知れた(と私が思っている)友人の行動であれば尚更だ。余計な世話を焼いても、後の人生の責任が取れるわけではない。やっぱり止めるのは私の勝手だったと思うし、それで友人が今後幸せそうになれなければ、私は一生後悔するだろう。厄介なものだ。
……という話を、友人の見舞いに来たとき思いついた。