副島種臣の書の話から、書の楽しみ方について。
……書の楽しみ方……楽しくない?
あれ、説明が難しいな。はて……
書の楽しみ。
まずは自分で書いてみたらいいと思うんですよ。
トメ、ハネ、ハライ……そんな形式ばったことは考えないで、自分の好きなように書いてみる。
筆ペンがいいです。100均なんかで売ってるのでいいから。
(最近のは筆先が軟らかくて書きやすいし)
あれでクネクネやってみる。いきなり線を長くしちゃったり、ハネが巨大になったり、字形をあえて▽の中に詰めてみたり、全部の文字をつなげてみたり――なんでもいいです。思いつくままに書いてみる。
それがなんとなくでも「あれ、楽しいかも?」とかちょっと思ったりしたら、しめたもの。あなたは書を楽しむ才能がある。
習字と書ってのは違います。習字ったらまあ「字を習う」です。そんなん小学校のころにさんざんやってきた(あるいは“やらされてきた”か)だろうから、課題クリアということで。
だいいち習字なんてな好かんのです。まず他人と比較されたり手本があったりするのがイヤだ。あんなんされたら下手を自覚して凹みます。それをバネにして気合を入れるなんてのは、そういう才能だか適正だかがある人間だけであって、過半数はイヤになります。
ところがそんなん気にしないで書いてたうちは、けっこう楽しかったんじゃないかと。ラクガキ嫌いな子供って滅多にいない道理で。
モノツクリに携わる人間が少ないのも、要するにその最初の段階でふるい落とされる人たちが多すぎるせいなんだろうというコトも思うんですが……まあそれも別の話ってことにしとこう。長くなるし。
とにかく習字なんてもうどうでもいいんです。
書をやりましょう、書を。
まず第一に、楽しむことを優先して書くのが好いです。
楷書、隷書、草書、行書、甲骨文、金文、篆書……気にしない。
むしろ自分で新しい書体を作っちゃうくらい遊びましょう。
そもそも漢字なんて、元を辿れば象形文字ですよ。絵なんですよ絵。山に見える「山」とか、川に見える「川」とか、鳥に見える「鳥」とか書いてみるのです。お日さまに見える「日」でもいい。あれなんか元は○に・ですぜ(笑)
そういうのをやっとく。そういう経験を積んでおく。
そうすると、なんか少し薄目が開く気がするんですよ。かっこいいハネとか、ビュリホなハライとか、ダンディなトメとか……いやそんなんは見えんか(笑)。まあでも僕には見えんけど、もしかすると見えた人もいるかもしんない。だとしたらあなたは僕より才能がある。
まあともかく、なんかそういうのが分かった気になる。
それが大事です。
んで、そういう薄目が開いたら次に書家の書を見てみる。
そうすっとまた別の何かが見えてくる……ような気がする。
少なくとも楽しんで字が書けた人は、たぶんどの瞬間が楽しかったり面白かったり、こういう字形はこんなノリで書いて、ああいう字形はそんなテンションで書いて、とかいうのが少し分かるでしょう。
そういう「書家が透けて見える……気がする」状態で見るのが、僕は書を楽しむ秘訣なんではないかな、と思う次第です。
真面目に、本当に真剣に書をやってる方々には申し訳ないんですが。
エンドユーザーはそれでいいと思うわけです。
字をいじって遊んでると、既存の書体がどんだけ完成度の高いモンかってのも、なんとなく分かってきますし。あなどれんのですよ、文字のデザインって。
【追記】
まあこの「字で遊ぶ」感性が、デジタルの方向に乗っかるとギャル文字みたいなモンになるわけです。アレはアナログの自由さの無いデジタルの中で、どうにかこうにか遊んでやろうという感覚なんだろうなァと。
そういう意味では好感が持てるんですが、実際アレで書かれると腹が立つことの方が多かったりします。第一に、解読するのに時間がかかること。第二にギャル文字のテンションが受け入れられないこと。頭カタイんで(笑)