「努力は見るもの」
「努力した時点で負けている」
実にイヤな言葉ですが、信条だったりします。
努力とか、苦労とかね。
やりたい事をしているとき、それを苦労だとか努力だとか思いません。
そう思っているときは、大概やりたくない事をしてる時です。
やりたくない事を無理矢理やったって、モチベーションは上がりません。
そんなことして上手くいくはずがない。
だから大事なのは「やりたい事をする」ことと「やりたい事にする」ことなのだと……まあこれは受け売りなんですが。
ちょっとだけ話題がズレて、次。
質問)貴方にとって世界で一番使い勝手のいい道具は何?
模範解答)自分自身
この手の話は表面上は理解してもらえるんだけど、実際にそれをやれ、というと皆が渋い顔をします。納得してくれない。
でもこれは真理じゃねーかと思うのですよ。
僕はスタッフワークを好みますが、スタッフに働いてもらうための環境整備をするのは僕です。責任がどーのという話以前に、それが一番手っ取り早いし、理想を直接的に実現できるから。そしてスタッフワークにとって一番大事なのは環境整備だと思うので。
まず自分が動く。
自分が一番やるべきと思うところをやって、そのせいで出来なくなることをスタッフに任せる。
この理屈だけだと、じゃあ時間さえあれば全部自分一人でやるのか? という質問をほぼ必ず受けるんですが、答えは「やりたいこと次第」となります。
なぜって、自分の脳味噌だけでは産みだせないものがあるから。
いわゆる「ブレーン・ストーミング」というアイディアの集積方法があります。集まれるだけ集まって、とにかくアイディアを出しまくる。一切の否定や分析作業はナシで、とにかくアイディアを出す。
人間一人の脳味噌が生成できるアイディアには限界があり、その理由は情報的視野の限界にあるわけですが、要するに一人の人間に見えてることなんてたかがしれている。それでは目標も目的も頭打ちになって、小ぢんまりとした結果しか導き出せません。
だからもし、有り余る時間を与えられて、自分一人でなにか成し遂げられそうだとしても、たぶん僕はスタッフ集めます。もちろんそれでお互い足を引っ張りまくってダメな結果になることもあるでしょうが、そうならないように環境整備するわけで。
……と、話が逸れた。道具としての自分だ。
自分を道具と見るのはまあ、あんまり気分のいいコトじゃないかもしれませんが、他人を道具と見るよりはよっぽどマシだし、自分と他人を変に区別するとまずロクなことにならなりません。
だからまず、何か解決するべき問題があったとき、自分を最大限に使う方法を考えるのがいい。自分を一個の道具と見なして運用するのです。
ここでまた勘違いされるとアレなんで書いておきますが、道具と見なすからって、感情そっちのけにするのとは違います。「自分は一振りの太刀だ」なんてな達人にしか出来ません。出来ないことをやろうとしたって無駄です。
冒頭にも書いたとおり、人間、やりたくない事をやったって上手くいきません。自分を道具と見なすには、まず「やりたいこと」「できること」「すべきこと」を並列で考えることです。
「すべきこと」と「やりたいこと」を近付けるために「できること」を使います。直結させることが出来なくても、いくつかバイパスを通せば大抵の場合、すべきこととやりたいことは繋がります。後は行動を起こすだけ。簡単なモンです。
とりあえず自分を道具にする第一として、毎日寝る前に自己分析やっとくことです。どんなことに感情を動かされたか、どこで燃えてどこで冷めたか、感情や環境の違いが行動結果にどう反映されたか etc…
毎日やってりゃ十分な蓄積が得られます。