退職時の契約によって、過去にどんな仕事をしたのか等の話は一切できない立場ですが、ちょっと頭の中を整理しておきたいことがあったのでダラダラ書きます。
自分が学んだことを思い出すための、大雑把なまとめです。
読んでも面白いモノではないでしょう。
人の上に立つ。
まあ、立ちたくて立ってる人より、立たされている人の方がたぶん多いんじゃないかというのが現代社会です。中間管理職の悲哀なんてのは、どこにいっても見られます。
彼らの何割かは知りませんが、中間管理職になった元同僚は「部下なんて欲しくなかった」と愚痴をこぼします。それでもしばらくすれば、溜息を吐きつつも「やるしかない」と腹を括り、飲みかけのビールを一気に呷るわけです。
その理由は「それが仕事だから」という単純なもの。
ここで“ねじれ”が生じ、後の悲哀につながるようです。
彼の意識は、あくまで「業務命令で」というポジション。もちろん社会的認識としては正しいんでしょうが、部下を持って責任を大にする人間がそれでは機能しません。絶対の上下関係によって、部下が思考停止に陥る原因にもなります。
七年ばかりの会社員生活で、少ないながらも部下を持った経験から分かったことは、「平社員は楽だなぁ」というものでした。
命令遵守と言うのはかなり気楽です。自分は自分に対してのみ責任を持ち、会社員として「会社のために」なんて認識や責任は、これっぽちも必要ありませんでした。与えられた仕事を効率よくこなしていれば、どうにかなるのが平社員です。
それが部下を与えられると、自分のことだけやっていればいいという状況では無くなります。当然ですが、部下の面倒は見なければいけません。自分のミスは自分の責任、部下のミスも自分の責任。
感覚的には、増えた部下の数を二乗するくらいの負荷でした。
ストレスで何度も胃をやられ、昔からの読者の方たちは、当時の僕がどれだけ入退院を繰り返していたかをご存知かもしれません。回数まで覚えてる人はきっといないけど。僕も忘れました(笑)
中間管理職がストレスでやられる“ねじれ”の正体、その一つは彼らが自分自身を平社員と同じレベルに置いているのに対して、組織は管理職としての仕事を要求することなんじゃないかと。
平社員に係長の仕事を求めても、平社員は「自分の仕事じゃないのに」と思うし、仕事がうまくいかなくても任命権者がすべて悪いと責任転嫁をする。でも社会的には自分に責任があると言われて納得のいかない責任をとらされる、という構図。
そりゃあストレスにもなります。
認識の“ねじれ”からくるストレスの解消法として、最初に考えたのは「部下を端末化する」こと。指示命令どおりにだけ動くなら、部下は僕の手指と同じ。それなら僕が責任を取らされるのも道理だと、納得しようとしたわけです。理屈っぽいのは昔からでした(笑)
ですがこれは大失敗。
他人事のように書いてしまいますが、僕の最初の部下は思考停止に陥り、更には機能を停止しました。ありていに言えば、体を壊して会社を辞めてしまいました。
元々からして、僕は社会人として最初からスキルが未熟でした。
会社からは精勤と見なされる「残業、徹夜は当たり前」という仕事ぶりは、言い換えれば能力以上に仕事を負ってしまう、目算できない人間ということです(ある程度は仕事を取捨選択できたからこその言ですが)。それが部下を持ったところで、同じように消耗させてしまいます。彼を辞職に追い込んだのは、まぎれもなく僕の不様な仕事ぶりでした。
この、少なくとも辞めた彼には取り返しのつかない失敗をしたことで、僕はしばらく頭を冷やせと異動を命じられました。
しばらく暇な“市場調査”をしながら、あれこれ考えました。
部下を持ったときの仕事の仕方について。
何が悪いって自分の仕事のスタイルがまず悪かったんですから、そこから変える必然性を感じていました。
が、困ったことに僕はそれなりに仕事を任せられると判断されていたようで――もちろん便利遣いの消耗品という見方が大勢でしょうが――仕事は放っておいても来た。なにしろ閑職に回されたと聞いたらすぐに「うちに来い」と別部署からラブコールがあったくらいで。
まあでもそれは人事上、無理な話ですし、なんか逃げるようで嫌だったので、外から手伝うだけに留めておきました。社内の風向きもありますし、お互いに立場を悪くして良いことは何もないので。
そうしている間に、たどり着いた次の案が「自分は一切作業をしない」というもの。
極論なんですが、目算が苦手という不利な特性を少しでも緩和するために考えたことでした。
これは「部下だけで出来る仕事までしか請けない」という、目算が苦手な僕が、目算が狂う原因である「自分の作業効率」を度外視するための苦肉の策ですが、もし次に機会があったら試してみようと胸に秘め、退屈な市場調査を続けていました。
半年で戻してもらい、前回より多くの部下が与えられました。
社内政治の結果らしいんですが、あまり良く知りません。
で、復帰してから考えていたことを実施してみると、当然効率は上がらないわけです。当時は「もっとできるのに」と焦れながら、自分はとにかく作業配分と進捗管理だけに意識を集中して。それはそれでストレスで、たまに自分でも作業に参加することはあったんですが、実際それでは大して効率上がらないんですよ。
僕のスキルが人並みだったってことか、とショックを受けたりしてたんですが、実はそれだけが理由ではなく。
僕自身が作業に参加していると、作業配分と進捗管理ができないわけです。そうなるとトータルの作業効率が下がり、その下がった分を、僕が参加することで埋め合わせただけという皮肉。作業配分と進捗管理がどれだけ重要かということを思い知らされました。
要は環境整備なんだな、と。
人間、役割を限定的に特化すれば、それなりに機能することが可能です。
僕なんか進捗管理や作業配分なんて門外漢で、一人でコツコツ何かを作るほうが性に合ってたんですが、それでもそれだけをやれということであれば、けっこうなんとかできるものです。最初のうちは「アンタも作業しろよ」という目で見られてましたが、まあなんとか認めてもらえるようになって。技術畑が嫌がる書類関係を、全部一人でやってたからってのもあるんですが。
で、少しずつそれらのスキルを上げていくと、自分自身の作業効率も上がります。結果、仕事が細かくなる……というか、細かくしないと仕事が失くなる(笑)ということがあって、そろそろ次のステップに進んでもいいかと思った頃に、ようやく昇進。もうちょっと偉くなって、もうちょっと出来る仕事が増えました。
結局その数年後には会社を辞してフリーランスになったわけですが、この頃の経験は今でも役に立っています。
だからこそ個人のスケジュールマネージャなんか雇ってるわけで。