ということで、家族でアレクサンドリアに行ってきました。
まあ夜寝る前にパパッと書いたメモ書き程度ですが。
【初日の話】
カイロ空港に到着すると、友人ハッディーン(仮名)と合流。
案内したいところがあるというので同行。共同墓地。
数年前の訪問で友達になった子供が、交通事故で亡くなっていた。
半年ほど前の話だった。
とはいえ家族はまったく知らないので、簡単に事情を説明して参列してもらう。
そのままアル-イスカンダリーヤ(=アレキサンドリア)へ移動。
とりあえずレストランに入る。
こちらの食事は量が多いという経験則から、五人で三人分ばかりを注文。
チビは前菜のアエーシ(パン)を食い過ぎて悶絶していた。
ハッディーンだけが一人前ペロリと坦らげていた。流石である。
カーイトゥベーイを見にいく。かの“ファロスの灯台”跡である。
僕はアレキサンドロス大王が好きで、子供にもよく話していたので、チビと僕は一緒になって盛り上がる。
きっとあの先にこうドーン!
それでその中をこうグルグルトルネード!
そこをこう、あーだこーだ!
傍から見てると絶対アホだったと思う(笑)
でも海は汚くて、ちょっと鬱。
ハッディーンによると観光地化による水質汚染らしい。
伝説の都市は、観光客の喧騒を嫌って煙幕を張ったようだ。
コム・エル・シュカーファのカタコームに行く。
エジプト最大のカタコーム(カタコンベ)である。
石灰岩質を手掘りで 20 メートル。圧巻。
ぞろぞろと人が集まってる場所もあれば、急にガランドウになるあたり「今でも墓なんだなぁ」と思った。
そのままカラカラホールも見て、帰る。
ハッディーンの家に行くと、見覚えの無い美人さんが二人。
誰? と思ったら、一人はハッディーンの妹さん。大きくなったなぁ。
もう一人は……嫁さん!?
結婚したのかハッディーン! やべぇ祝いとか何もしてない!
カミさんが気を利かせて、新調のスーツとワンピースを祝いの品ということで出してくれたが、僕個人でも帰国してから何かせなイカンな(汗)
明日はアレキサンドリア古代都市跡(ローマ円形劇場)やらグレコ・ローマン博物館やらを見るので、早めに休もうかとも思ったが、宿泊費代わりの土産話を楽しみにしている人たちがいる。
疲れで普段以上に滑舌が悪くなって聞き取りにくかったと思うが、楽しそうに聞いてくれたのでテンションは上がり、結局、夜遅くまで話していた。
姐上から連絡。
二日後に現地入りするというので合流することに。
【二日目の話】
朝食をいただくと、今日はハッディーンが仕事で休めないというので、家族だけで行動しようと思っていたら、妹さんのジャミレフ(仮名)女史が案内すると言ってくれたので甘えることに。
まずはローマ円形劇場へ。
女史、さすがにハッディーンほど説明が上手くないものの、着眼点が面白い。
学術データは調べれば分かる。
ガイドに必要なのは知識ではなく教養と機転だろう。
遺跡自体は小さなものでも、いろいろ面白かった。
僕はこのままポンペイの柱を見に行きたかったが、女史が「見ても仕方がない」というのでパス。グレコ・ローマン博物館へ行くことに。
まあ、ただ柱が一本立ってるのを見ても面白味は無い。
どうやって運んだのかとか、なんで運んだのかとか、元の姿とか、柱を前にあれこれ想像するのは楽しいけど、家族で行って見るところじゃあないわな。
でも残念。ものすごく。
気を取り直して、グレコ・ローマン博物館へ。
ポンペイの柱を見に行けなかったせいでちょっと気分を害していたせいか、それともバクシーシの声にうんざりしていたのか、ここではあまり楽しめず。
内容そのものはエキセントリックで面白いのに。
観光地なんて一度行けば十分だと思うのはこのせいだ。
観光なんて要らない。ただ旅が出来ればいい。
その後、レストランで食事。
女性陣が盛り上がる。英語ベースでよくやる。
たまに通訳の要があるので話は聞く。
女史、日本に興味がある様子。
それが目当てでガイド役を引き受けたな?
抜け目のない子だ。
ところでエジプトの食事はやっぱり量は多いが、二日目になってだいぶ慣れたのか(何しろどこに行っても量が多い。ハッディーンの家でも料理は山盛りだった)、昨日は四人で二人分だったのが、今日は四人で三人分。
日本に帰ったら悲鳴あげるぞ君たち(笑)
明日はジェベル・ムーサーに登り、その足でカイロに移動するため、ハッディーンの家族とはこれでお別れ。
挨拶を済ませるとハッディーンと合流し、ジェベル近くの村で宿を取る。
さあ、明日は山登りだ。
【三日目の話】
ジェベル・ムーサーとはモーセ山。つまりシナイ山のこと。
未明、姐上と合流。なんでも会社は一週間休みを取ったらしく、しばらく同行できると言うので、アラブ圏での女性陣ガイドとして頼む。男女一緒での行動を自粛する場所もあり、今回は避けようと思っていたが、これで可能となった。
とにもかくにも夜も明けぬうちからラクダで途中まで登り、荒石積みの階段を登って山頂へ到着。
巡礼団の賛美歌の中、シナイ山で朝日を拝む。
思わず敬虔な気持ちになってしまった。
最近の聖書学者はシナイ山はもっと北だと言っているそうで、だけどまあそういうことは関係ないなコレはと思った。多分に仏教観のような気もするが、大事なものは権威ではなく感動だ。直観である。正しさというものは利のもので、個人にとってはどうでもいい。
要するにそれだけ感動モノだったという話。
実はこのとき、自然の演出によって僕らはドラマティックな朝日を迎えた。というのも、朝日が登るほんの少し前まで大人しかった風が、陽光が射すとともに強く吹いたのだ。
ひどく陳腐な表現をしてみると、息を潜めていた夜の悪魔たちが、光の軍勢が攻めて来ると同時に一目散に逃げ出して行くかのような。あるいは進軍の角笛でもいい。
印欧圏の二元論の根っこを見たような気がした。
この光景は、地平線が見えるような土地でなければ味わうことはできないスペクタクルだ。水平線でもよさそうなものだが、水平線にそれを感じるには、海に生きるものの感性がなければならないだろう。たとえば漁師には分かるが猟師には分からないと思う。
こうしたスペクタクルは、これまで旅をした他の土地でも感じることはあったが、ここがシナイ山であり、賛美歌に包まれていたことが妙に確信めいた感動を与えてくれた。
チビ助は「すげー」と何度も叫んでいた。僕も叫びたいくらい感動したが、巡礼団の方々に気兼ねして自粛。空気読まないチビの口をふさいだのだが、それでも叫んでいた。この野郎。
娘は周囲の空気がアレで、写真を撮れなかったとのコト。気持ちは分からないでもない。そのアレな空気が、果たして「敬意」なのか「恐怖」なのかはともかくとして(笑)
カミさんは普通に感動していた。ただ下山時、ラクダ独得の揺れのことを思うとちょっと憂鬱だと言っていて面白い。自動車や馬は好きでもラクダは駄目ですかそうですか。
とにかく「ワンダホー!」の一言だった。
ところで一部の巡礼団の方々に言いたい。
敬虔な信仰心のベクトルが多分に信仰対象に向けられすぎていて、観光客である僕らを押しのけベストポジションを取ろうとするのはいかがなものか(笑)
まあ、信仰の地に興味本位で足を踏み入れるようなアホタレに向ける礼儀はない、と言われるなら僕は返す言葉を持たないけど。
その後、すぐに下山してミスル(カイロ)に移動。
ギーザ(ギザ)のピラミッドを見物にいく。ここは見物でいい。
観光用の通路を軽く回って戻る。
正直なところ、あそこはあまり面白くない。
観光地化が進みすぎて品が無くて、全然アラブじゃない。
磨かれた下品と、腐った上品があるとすると、ここは後者だ。
まるでヨーロッパのノミの市かなにかのように感じる。
いるのはカモと猟師ばかり。
足元の石塊の方が、よっぽど面白い。
ハッディーンに礼を言って分かれ、空港近くのホテルへ。
明日には帰らないといけない。残念な話だけど。
娘への主立ったギフトは、これにて終了。
あとは自分の足で確かめるといい。
チビ助にはまだまだ見せたいものが沢山ある。チビ姫にも。
まだまだ隠居暮らしは出来ないか。