サービス考(物価考[2])

 サービスされることに慣れてしまい、物価に対する感覚が狂いきっているのが今の日本人なんだろうな、と思っている。
 この十数年の不況/デフレの原因の一つは「消費の冷え込み」だったわけだが、それもまあ要するに「サービス=リスク無し」という(世界的に見て)キ印じみた概念があるせいなんじゃないか、と思った次第で。

サービスを値切る感覚が、分からない。
 例えば「ホテルでチップを払うのは常識」という感覚も変だと思うが、丁寧なサービスを受けたらチップを払いたくなる気持ちもあるので、そういう習慣が無い、ないし下品と思われるのも少し寂しい。
 確かに心のこもったサービスに対して金銭で済ませる、というのは下品だ。
 といって、現在社会のシンプルな価値基準は金銭で計られてしまうのだから、仕方が無いかなァとも思う。

 もちろん金銭で済ませるだけではなく、言葉でも態度でも示せばいい。
 チェックアウト時なり帰宅後落ち着いてからでもいいが、手紙を書いて送ることだってできる。
 これならチップを禁止してるホテルでも、チップの習慣がない旅館などでも可能だし。
 それに、そういうものが仕事に誇りを持てる原因にもなると思う。
(作家にとってのファンレターと同じで)
 そうした誇りを持ったサービスマンの仕事は、高いクォリティを保ち続ける。
 心地良く利用することの出来たホテルは次にも利用することになるし、その度にそうしたアプローチを続けていれば、全体のサービスが向上しているのを感じることが多い。
 ホテル側の基礎教育は大事だが、客にもホテルを育てることは可能だ。

 これは、ホテルに限らずあらゆる職業、職場で言えることだと思う。
 職場が殺伐としていくのは「毒性の強い個人」によるものだったり「忙殺されて他人に気が回らなくなる」せいだったりするが、他人に対して丁寧にアプローチすることで仕事の総量が減ることも少なくない。それに、そうした方が気持ちよく仕事ができるし。

 ……だいぶ脱線してしまったが、ホテルへの感謝状にしても、余裕がないときの丁寧なアプローチにしても、金銭以外の「リスク」といって良いと思う。
 感謝状の文面を考え、実際に書き、送る。
 気が立っているときでも丁寧に対応する。
 それらは金銭に代えられないリスクだ。
 そうしたリスクを全く負わず、サービスされることに慣れ切った人は、トータルとして無味乾燥になっている気がするが、どうだろうか。

 ほんとは違法コピーや YouTube に関する話も書こうと思ったんだけど、主旨がまとまらなくなるので今回はこれまで。