WBCったらボクシングだと思ってしまうわけですが。
野球、じゃなくてベースボールのお話。
なんかまあ「疑惑の判定」ってのが方々で語られていて、事情を聞くと確かにそれはどうなのかと。
○アウェイなのに審判が地元国の人間。
せめて他参加国の審判でやんなさいよ。せめて。
○マイナーリーグの審判が多い。
なんでメジャーリーグの審判連れてこないの。そういう優先順位?
○米チーム監督の抗議を受けてから、球審がアウトと言った。
判定はもっとスピーディに、抗議受ける前にしなさいよ。
そういう文句があった上で、でも審判は神であるということも忘れちゃイカンと思うわけで。
あのカメラってやつが出来て以来ね、審判の権威は落ちるばっかりです。もちろん公平な判断を期するために写真判定は大事です。でも、即時性の求められる判定を、いちいちカメラのリプレイで確認してたらサッカーも野球も出来んのですよ。
だから人間の審判が常に必要になるわけで、まあ将来的にすべて機械的な判定ができるようになったとしても、今度はその機械の開発元だのプログラマだのメンテナンス・スタッフだのが糾弾を受けるようになるわけで、いつまで経っても人間の責任であることは変わらないはず。
審判の言が絶対ってことにしなくちゃ、ゲームは出来ない。
こらもう仕方のない話です。
各国代表が競い合うわりに、えらく気の抜けた設営だなァと思います。
審判の過半数を一国がまかなってる状況って、異常でしょう。
オリンピックだったらどうですか。
サッカーでもどうですか。
ありえない話だと思うんですけど、どうですか。
そういうジャッジをされたくなければ、最初から審判とかもっと考えて環境設備を整えておくべきでした。ルールが決定された段階で、審判に大きな偏りがあった段階で、しっかり抗議をして意見が通らなければ参加しないくらいの気概で立ち向かうのが真剣勝負じゃないですか。
例えば今回の件が本当にミスジャッジだった(僕はそれを判断するだけの経験を持ちませんが)として、それは環境整備の努力を怠って、ほいほい尻馬に乗ってった人間にも責任があります。
だって自国チームを勝たせたいのは当然の心理ですよ。
だからこんだけ騒いでるんでしょう?
圧倒的不利な状況で、それでも戦いに行く。
ボクシング等では、よく見られる話です。
ホームタウン・デジション。
10カウントの速度がまったく違う試合。
ドクターストップが異様に早い試合。
ちょっとまぶたの上でも切ったら、もうTKOにされる試合。
失神KOを奪うくらいしか、勝ち目のない試合。
それでも戦いに行くとき、彼らは腹をくくっています。
古臭いハングリー精神かもしれないけど、そういう心に奮えます。
しかし、結果が出てしまってからは仕方がありません。
それがスポーツです。
それに泣かされたアスリートは、歴史上いくらでもいます。
それがスポーツなんです。
監督が審判に、今のはミスジャッジではないかと抗議する。
あれは一種のパフォーマンスであり、同時に戦術の一つです。
いくら抗議しても、判定が変わらないことは分かっています。
分かっていますがそれでも抗議をするのは、次を見ているから。
次はミスジャッジをするなよと、プレッシャーをかけているわけです。
また選手たちを鼓舞する意味もあります。
一緒に戦っているんだと。
それらが審判の心を動かして、次に来る微妙な判断の求められる状況では、今度は自分たちのチームに有利な判定を下してもらう。
実際「抗議の巧い監督」という評価もあるんです。
卑怯というなかれ。
ルール内で全力を尽くすのがスポーツです。
今あの判定について抗議をする意味は「次の試合のため」です。
感情的にならない。
相手の傷口に塩を塗りこまない。
野球好きを自称するタレントの煽りに流されない。
冷静に。それでいて相手の罪悪感を喚起するほどに。
「抗議の巧い監督」になりましょう。
それがスタジアムを出た観客が、数少ない出来ることです。