天才の散才

 集団でモノを作ることは、大事なことです。
 世の中どんどん個人化が進んでいって、人件費の安さからも、分かりやすいカリスマ性としても、持て囃されているようですが。
 個人でモノを作ってると、その才能は個人の中で自己完結してしまいます。
 どれだけ優れた才が有っても、死ねばそれでおしまい。何も残りません。
 そして才無くして生き残ることが出来るほど、この世界は生易しくは無い。
 


だから集団作業が大事だと思うわけです。

 既にして才気光るもの。才ある可能性を残すもの。
 そうした人間が集まって集団となり、一個の生物のようになって生き続ける。
 一個の生物のようになる以上、いつかは死を迎えるわけですが……
 ま、少なくとも個人よりかは長生きできるでしょう。
 その間に新しい才能が育てばいい。
 集団はそうやって長生きするものです。

 ところが最近、一人が良いという風潮があるようで。
 経済的にはソレで良いかもしれませんが、一つの社会とすれば、衰退期の典型ではないかと。
 才あるものに全てを委ね、ただ責任から逃れて生きることに腐心する。
 ……まあ、上手くいってる間は良いんですが、天才の成否は常に紙一重です。
 天才は挑戦する。故に失敗もあります。
 そして失敗した天才は、責任を取るということで追放される。
 結果、社会に残るのは責任転嫁の才ばかりに長けた、無才強欲の人間ばかり。
 それじゃあ社会も死にます。

 以上、かい(、、)無い話。
 おそまつ。