例の「三年弱のデカいヤマ」を降ろされて、未明に愚痴電話をする。
(毎度の事ながら、とりとめのない長話で済まない)
でもまあ話しながら反省するべき点とか色々見えてきて、悔しいし腹立つけど結果としてそうなるのは当然だろうという気もする。
今時「野望」という言葉は死語なのかもしれない。
そんな口にすれば苦笑されかねない話だが、僕には野望らしきものがある。
経験則から導かれた話であって、より巨視的な視点の話を聞くと、卑小さに情けなくなる程度のものだが。
だが、その狭視症的野望の到達点が視野に入った時、僕は急いでしまった。
もっとしっかり地固めをしておかなければならなかった。
省みれば多忙を口実に、怠惰に過ぎた点はあった。
多忙で動けないなら、それを解消するための動き方があった。
現実は、力を尽くしてもなお失敗することがある。
それなのに手を抜いたのだから、失敗は常識的な結果だろう。
人間が十全を尽くせないのは当然だが、自ら尽くさないのは怠惰なだけだ。
つまりは僕にも責任がある。
次は上手くやろう。
まだ命はある。
ならば可能性は無限だ。
次はもっと上手くやれる。