[chat] 20090731#10

チュートリアルと小物
玄兎
「そうそう。そもそもデジタルのRPGに比べて、TRPGはチュートリアルの組み込みも難しいでしょう」
ケイ
「難しいか?」
玄兎
「シナリオの書き方次第ではあるんですが、チュートリアルってのは一定のストレスをかけた上で、必然的な操作の繰り返しでリテラシーを習得させる工程なわけで。でしたよね?」
ケイ
「よし、指差し確認といくか。その一定のストレスってのは何だ?」
玄兎
「やらされてる感というか。命令に服従している状態ですかね」
ケイ
「オーソドックスなパターンは?」
玄兎
「ストーリーゲームなんかだと、話が中断するパターンですか。シナリオの流れの中で、リピート・アフター・ミーと言われる。これをやるのは概念的な限定空間の中で、そこでは何をやってもゲームに影響を及ぼさない。言われた操作を繰り返すことだけが、ストーリーを進行するキーになっている。早く続きが見たいから、進行キーを入力する。初歩的な飴と鞭のモデル」
ケイ
「オーケー。同じ認識だ」
玄兎
「そりゃ仕事で散々やりあいましたからねえ」
ケイ
「で、それでいくとTRPGのチュートリアルが難しい理由は何でだ?」
玄兎
「コンシューマの場合、プレイヤーのわがままをプログラムは聞かないでしょう。どこ吹く風で聞き流されちゃう。だから最終的にはストレスからの逃避行動として、言われた操作を繰り返すか、ゲームを投げ出してパワーオフにする。このとき課題になるのは、その先の展開に期待が持てるかどうかって話ですね。先が知りたい、先が見たいと思うから、指示に従う。別に見たくなければ投げ出していいんだから」
ケイ
「TRPGの場合は?」
玄兎
「わがまま聞きますからねえ、人間」
ケイ
「そういうことか」
玄兎
「ストレッサーとしては、人間ってシステムより個人の方が恨みやすいでしょう。消極的自由だったかな、システムには従うけど人間には従わないというか、toではなくfromというか。人間は人間にフレキシブルであることを求めるし」
ケイ
「コンシューマではあんまり考えない感覚だなあ」
玄兎
「必要ないかもしれませんね、デジタルだと」
ケイ
「シナリオとストレスのバランスとか、リアリズムの方が重要だからなあ」
玄兎
「MMOがクリックゲーばっかなのも、チュートリアルの手間を嫌ってる部分が相当なレベルであるだろうなあ、とか思ってますが。その辺は?」
ケイ
「あるだろうな。ヨーロッパ、アメリカ市場を視野に入れて、野心的なFPSとして設計されてたゲームまで、アジア市場で売るためにクリックゲーにダウングレードさせられた、なんてケースまであったらしいし」
玄兎
「あれってやっぱり序盤の成功経験だけ楽しんで、伸び代がなくなってきたら別のゲームにお引越し、てのを繰り返すことは計算ずくなんですかね?」
ケイ
「考えてないわけがない、と思うが実際はどうだろうな。メーカーの上の方が、ユーザをどう理解してるかによるだろ。どっちにしろMMOには大して興味が無いんだよなあ」
玄兎
「あれは基本的に多機能チャットだと思うんですけどね。まあTRPGもその辺はあんまり変わらんのですが、フレキシビリティの点でMMOよりマシかなあ」
ケイ
「コストパフォーマンスはMMOの方が高いんじゃねえの?」
玄兎
「でも天井がえらい低いですからねえ。金以外のリソースを支払って、前のめりに遊べるならTRPGの方がオススメだと思いますよ。この辺は好みの差でしかないでしょうけど」
ケイ
「まあそうだろうな。で、お前の趣味はいいとして、チュートリアルがやりにくいのは消極的自由のせいか?」
玄兎
「それだけじゃないですね。デジタルとアナログというか、いや、それよりTRPGが文芸カテゴリで先鋭的になりすぎたってか、ニューエイジとかカウンターカルチャーとかの影響を受けすぎたというか、まあそういう弊害なんでしょうけど。フェティッシュの喪失が大きいかなあとか」
ケイ
「フェティッシュ? 足フェチとかの?」
玄兎
「その元になった方です。偶像として迫害された呪物の。概念を投影した物体というか」
ケイ
「よく分からねえなあ」
玄兎
「手の内全部明かすとトンデモ理論になっちまいますんで、その辺はごっそり省いて結果だけでいいですか?」
ケイ
「概要だけでも話せねえ?」
玄兎
「じゃあ直線で。フェティッシュってのは異教徒が扱う偶像、アイドルとしてキリスト教から排斥されてきた歴史が一つ。フェティッシュってのは、異教の神やら概念やらを象徴する物体であることが一つ。TRPGの元祖たる『D&D』は悪魔崇拝の儀礼だとして、レッテルを貼ろうとする流れが一部にあったことが一つ。こんなとこでいいですか」
ケイ
「なるほどな。そりゃトンデモ理論だ」
玄兎
「たとえばタットワとか没入儀礼の作法なんかでこう、似非科学的に解体することも出来るんですが、どんどん胡散臭くなっていくんでその辺は流して」
ケイ
「じゃあそれはまた時間があるときにな。で、そのフェティッシュが?」
玄兎
「それっぽい言い方しましたけど、まあ要するにコマとかゲームのコンポーネントってか、小物のことで。ゲームプレーってのはまあ、見方を変えるとセレモニーというか、儀礼的なんですわ。順に沿って処理が進めるわけですけど、その順を象徴するフェティッシュがそれぞれ欲しいぞと」
ケイ
「ダイスだけじゃ足りんか」
玄兎
「プレー結果が視覚的に分からんのですよ。TRPGには人生ゲームとかモノポリーとか、結果だけ見ればそういう不可逆性の運動があるわけだけど、それを可視化できてないという問題があるわけです。可視化しないことでボードゲームと差別化を図ってる、て部分もあるんですが。コンシューマの場合はグラフィックにせよサウンドにせよ、エフェクトかけて表現するでしょう。TRPGのフレームは、入出力が曖昧すぎるんです」
ケイ
「そんなもんか? でも『D&D』とか、ミニチュア使うじゃんか」
玄兎
「使わなければならないゲームってのは、わりと少ないですから。使わなければならないわけではないなら、面倒だから使わないという選択は十分にありえるでしょう。それにゲームに慣れた人たちは、言語イメージを直接脳内でグラフィカルイメージに置き換えるスキルがあるし。でもそのスキルが無い人たちもいるわけで」
ケイ
「言わんとすることは分かった。でもお前、昔からマップとか小物に懲りまくってなかったか?」
玄兎
「使いますねえ」
ケイ
「それじゃあ比較できねえんじゃねえの?」
玄兎
「他人とは比較できるでしょ。まあ実はその辺も、前にやってたワークショップで試してたんですけどね」
ケイ
「結果は?」
玄兎
「全然違いますね。マップ、メタルフィギュア、カード、ダイス、チット、ソーサー、スティック、カップ。この辺は手の表現とわりと近似値にあるんですが、表現媒体として非日常のアイテムを導入すると、脳内でオリジナルフレームとして構築されてる節があります」
ケイ
「なるほど」
玄兎
「判定に成功するたびに、チット1個渡すだけで違いますよ。それを過剰に発展させたのがオブジェクトカードってやつで」
ケイ
「判定内容と行動結果を書くやつだっけ?」
玄兎
「それ。まああれは統計的に数理モデルを整形するとか、グループ内のローカルなパターンランゲージを構築するとか、体験からバックボーンを形成するとか、別の狙いもあったわけですけど。行動単位でオリジナルリプレイが手に入るようなもんですんで、わりと好評です。その手の、コントロールの結果を反映する手法が、一旦失われちゃった気がするんですわ」
ケイ
「それがチュートリアルの障害になってると、お前は考えてるわけだ」
玄兎
「ですね」

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