5分で書くシリーズ。
いやしかし、後になって加筆修正したくなるのは困り者(笑)
リアリティ、という言葉を連発してますが。
リアリティが「現実らしさ」改め「それらしさ」だと考えると、これって要するに「世界観」じゃね? ……とかフとした拍子に思いついてみたり。
ああ、でも世界観ってと「世界設定」とごっちゃにされて、「~らしさ」というアバウトさがなくなっちゃうか。
どっかで線引きしないと駄目なのかな。うーむ。
人間、誰しも見えているものは同じではなくて。
だからリアリティ、見えている「現実」や「それらしさ」というのも、三者三様十人十色、千差万別と言って過言ではない。ただまあそれでも同じコミュニティで生活していれば、生活の上で齟齬がない程度にすり合わせが行われて、多くの要素について近似値にはなっていくわけですが。
TRPG って遊びは、その場で即興のコミュニティを形成するようなもんで。
ある言動について心地よければ是、悪しければ非、なんて具合にそれぞれの事象が判定されていって、結果的にそこでの常識、そこでのリアリティが形成されていく。
判定基準が「心地よさ」なのは内輪の基準なんで、他所では違うかもしれないけど。
そうするとまあ、そこでしか通用しない常識、リアリティというものが形成される。
自分たちが認識しているリアリティが、実際は「現実」に即したものではなく「ゲーム」に即したものである、基準にしているものさしが違う、ということに自覚的になれると、現実との差分がどうかを説明できるようになるし、それによって TRPG 独自のコミュニティと、その外側とのコミュニケーションがとりやすくなるようになると思うんですが。
現実を媒介に、自分たちのリアリティと、相手のリアリティとのすり合わせをする、というか。
逆に、そこんところが理解できないと、単純に現実と比して「リアリティが無い」ということになる。だから「ごっこ遊び/子供の遊び」というレッテルが貼られる。
そう考えると、無理解な「外の」人たちに、ゲームのリアリティを見出してもらうためには、ゲームの側から「我々の現実に即したリアリティ」を構築して理解を得るか、あるいは逆に「ゲーム(世界)のリアリティ」について知ってもらうアプローチをするか、といった二択になるのかな、とか。