[memo] めんどくさい話

 ときどきダバーっと脳から電波が溢れ出るわけですよ。
 え、いつもだろ、だって!?(笑)

たとえばあなたが

 例えば貴方が幼少期、ある程度――たとえば10歳前後――の年齢になるまで平和な日本の都市圏で生活し、その後、家長の都合で海外に移住したところ、すぐに内戦に巻き込まれて反政府組織に誘拐され、森林地帯に点在する小さな村での生活を余儀なくされたとする。貴方はそのままかつての生活に比べて原始的な生活を一ヶ月ほど送り、反政府組織の暴力的な世界を垣間見た後、再び戦闘行動の巻き添えを食って日本へ帰国できた。果たして日本という国で、貴方はかつてと同じように暮らしていけるだろうか?
 日本の都市で、10歳そこそこの子供が一人で暮らしていくのは不可能だろう。保護者も存命しているのだから、普通に家族で暮らすことになる。その中で貴方は極力日本人らしく、日本的という枠内に合わせて暮らそうとするが、一ヶ月やそこらの森林での原始的な生活を送ってしまった貴方には、日本では子供の目に触れないような、人間の動物的な行動というものも山と見てきている。口では人民のためと言いながら、当の人民から「防衛費」の名目で搾取するゲリラ。互いに生き残るために民兵に擦り寄る村人たちは、自分を脅かすものを「密告」によって殺させる。奴隷化されることで落ちた生産力を補うために、子供たちを酷使する。そうした村での暮らしを嫌ったところで、そこから一歩でも出れば、火も使えず――敵に見つかるかもしれない――食べられるかどうかもわからない“何か”しか口にできない。それすら仲間内で奪い合いとなり、腕力のあるものがすべてを得る。のどが渇けば生水や泥水でもすするしかない。目を覚ました時、足元に蛇が這っていた時の驚き。川の中を進めば服の中に入り込んでくるヒル。ようやく抜けた森の切れ目に現れるドクロマーク――地雷原――の立て札。他にもここでは書くことも憚られるような、もっとどす黒いものを嫌というほど見てきた少年は、どうやって暮らしていくのだろう?

 これはまあ、あくまで「たとえば」の話なわけで、突っ込みどころはいくらでもある。あるんだけどまあ、神の気まぐれによってそんな人生を歩んじゃった場合、世界はどう見えるんだろう? というのは疑問なのね。

問うこと

 たとえ話の少年は、徒手空拳から石器、鉄器、銃火器くらいの武器の時代をまたいだ経験をしちゃってるわけ。銃器によって脅かされる村での暮らし、暴力として使用される鉄器、徒手空拳の不便を補うための石器……まあ用途はソレ以外ではないわけで、色んな使われ方をする「武器」というものを目の当たりにしてきた。

 武器は何のためにあるのか。
 何のためにそんなもんを創りだしたのか。

 「人を傷つけるのは悪いことです」と教わってきた現代日本の少年が、「人を傷つけなければ生き抜けない世界」に立った時に、何を思うのか。自分が生きるために必要な最低限を超えたとき、それでも「武器」を使うか使わないか。何のために使うのか。あるいは使わないのか。正義とは? 正しいこととは?
 ありがちな問いだわな。

 そして物語の中では常に「主人公の選択は正しいもの」として評価できるように描かれる。
 それは何故?

 そもそも「人を傷つけるのは悪いこと」とする道徳や戒律、教えといったものにも由来があり、物語として語られてきた。普遍宗教の歴史を紐解いてみればいい。そこには原因があり、過程があって結果がある。動機に対する理解を求める。歴史とは? 物語とは?

 なぜ少年の目に映った現代日本という国は、あの国のような暴力で支配されている風ではないのか。あるいはそれは巧妙に隠されているのか? そうであるとすればどこにどうやって。そうでないとすれば何故それを必要としないのか?

 あの国のような圧倒的な暴力、死に至るか、そうでなくとも指や腕を失ったり起き上がることもできなくなってしまうような、そんな暴力が目の前にない現代日本。それなのに不幸そうな人、不幸ぶる人がいるのか。強者とは? 弱者とは? 彼らは誰と何によって何のために争っている?

ゲームでね

 こういうのって、個々に答えを出していってもあんまり意味なくて。
 上手いこと言ったつもりでも、何かしらのバイアスを受けたパターンに回収されちゃうから。
 大量にサンプル積み上げていって、「傾向としてこういうことだな」ってやるしかない。
 それすらも「分かったつもり」でしかなくて、だから賢しらに回答されても「へー」としか思えないんだけど。

 ゲームってそういうのに適してるわけね。
 自分をちゃんと当事者ポジションに放り込んで、答えることが出来る。
 あくまで擬似的なものでしかないんだけど、それでもえらそーにふんぞり返って自尊心とか功名心たっぷりの言葉なんかより、よっぽど実に近づける。
 そういうことアレコレ考えてると、それはそれでシステムデザインすんのも面白かったりするわけ。

 で、そういうのが知りたくてゲームやってる部分ってのも少なからずあって……いや、ちゃんと「遊ぶため」のゲームと「知るため」のゲームってのは使い分けてるツモリなんだけど。それでもたまに暴走して、同席してもらってる人にはいい迷惑になっちゃうこともあるんで、それはゴメンナサイっていう。

 ――以上、特にオチもなく投げっぱなしで終わる(笑)