[chat] 20091103#1-普遍的な人生というドラマ

普遍的な人生というドラマ
オリハタさん(仮)
「物語の構造論ってどこで使うの?」
玄兎
「TRPGで?」
オリハタさん(仮)
「そう」
玄兎
「シナリオデザインかなぁ。文芸的な創作活動ってか、おはなしを作るためのゲームとしては、シナリオデザインのタイミングについて勘違いがあると思うんだけど」
オリハタさん(仮)
「勘違い?」
玄兎
「なんつったらいいかな、こう、シナリオって準備段階で作るものってイメージがあるでしょう」
オリハタさん(仮)
「いや、だって旦那そう言ってたじゃん」
玄兎
「まあ準備段階でシナリオを用意するのは当然なんだけど、完成するのってプレー中なわけでさ。活動としてはね」
オリハタさん(仮)
「リデザインしてるって話?」
玄兎
「そういう話」
オリハタさん(仮)
「そういうときでも構造論って使えないの?」
玄兎
「使えるよ。大枠なんかは変わらないし」
オリハタさん(仮)
「そうすると、どういうことになるわけ?」
玄兎
「うーん。物語ってさ、まあTRPGで扱うのはドラマだからドラマに限定するけど、ドラマってのはつまり人生の縮図になってるわけ。ていうのは有り?」
オリハタさん(仮)
「縮めすぎ。もうちょっと長く」
玄兎
「うん、じゃあ長くしよう。えー、じゃあユングからだな」
オリハタさん(仮)
「心理学なの?」
玄兎
「わりとあっさりした話なんだけどさ。ドラマの構造って人生のモデルとほとんど同じわけ。ていうのは何でかって言うと、娯楽の性質として、ストレス環境からカタルシスを得るまでのプロセスが、人生の中にそのままあるから」
オリハタさん(仮)
「なんかものすごく雑な話に聞こえるんだけど?」
玄兎
「このままだとね。さて、じゃあドラマって何なのか、ドラマによって描かれるものは何なのか、ドラマが持つ性質についてやろうか」
オリハタさん(仮)
「ドラマの持つ性質? それって、ドラマの定義みたいな話?」
玄兎
「そうそう。どういうものだと思う?」
オリハタさん(仮)
「人間同士の葛藤とか生長とか、そういう話?」
玄兎
「そう。てか、それがすぐ出るなら人生モデルで良くない?」
オリハタさん(仮)
「成長ってこと?」
玄兎
「そう。シノがいれば話が早いんだけど、まあ無い物ねだりか」
オリハタさん(仮)
「シノって、シノフサさん?」
玄兎
「そ。心理学方面の話になるんで、あいつがいると補填してもらえるんだけど」
オリハタさん(仮)
「ふうん。で、どんな話?」
玄兎
「人間の葛藤と成長、てのが心理学では既にモデリングされてるわけ。たとえばエリクソンて人が提唱した話で、エピジェネティック・スキームつって、人間が生まれてから死ぬまでを、おおまかに八つの時期に分けて考えるモデルがある」
オリハタさん(仮)
「ふんふん」
玄兎
「で、その八つの時期それぞれに、社会規模、秩序の理念、社会的価値基準、危機、行動パターン、エネルギー、なんてのがある。他にも心理的段階とか性的段階とか、もっと細かく色々あるらしいんだけど、まあそれは必要なら調べてもらうとして」
オリハタさん(仮)
「うん。例示ちょうだい」
玄兎
「じゃあ、そうだな。学生のモデルにしようか。学生、まあ大雑把に義務教育と高等教育で分けるとして、義務教育の社会規模は、家庭と家の近所の住人と学校の人間。秩序は技術や技能。社会的な価値基準は勤勉性で、危機は劣等感。行動パターンは何かを作ったり組み合わせたり組み立てたり。エネルギーは有能感。万能感と言っても良いかな」
オリハタさん(仮)
「中二病っぽい(笑)」
玄兎
「あれもでも行動力につながるなら、そう卑下したもんでもないと思うけどね。動かないよりよっぽどまし」
オリハタさん(仮)
「万能感だけで行動に移さないのはダメなんじゃない?」
玄兎
「そりゃあダメだ。ダメダメだ。まあそれは置いといて、高等教育下の学生モデルの方だけど」
オリハタさん(仮)
「うん」
玄兎
「こっちは、えー社会規模は友達グループと敵対グループ。秩序は将来の展望についての思想的なもの。社会的価値は同一性で、危機は同一性の喪失。行動パターンが自分になりきろうとすることと、実際になりきること。エネルギーは忠誠心」
オリハタさん(仮)
「グループと思想共有で忠誠心って、なんか暴走族みたいなんだけど」
玄兎
「分かりやすいモデルなんじゃないかな、あれは。将来の展望を持たないで、ダラダラと楽しく遊んで暮らせればいいや、てのも秩序パターンのひとつだよね。そのとき忠誠心は、そこから逸脱しないこと」
オリハタさん(仮)
「空気読め?」
玄兎
「そんなとこじゃないかな」
オリハタさん(仮)
「なんとなく理解した。そういう人生のモデルがあるわけね」
玄兎
「そゆこと。で、さっきの高等教育のあたりで出てきた同一性ってのが、アイデンティティってこと」
オリハタさん(仮)
「アイデンティティが同一性? そういうものなの?」
玄兎
「たぶん通俗的にはレゾンデートルの方が近そうなんだけどね。存在意義ってか。まあとにかく自分が自分であること、だから存在意義、自分がなぜ自分であるのかとか、自分探し? そういうもんの答えだわな」
オリハタさん(仮)
「じゃあ同一性の喪失、ていうのは、アイデンティティを見失うってこと?」
玄兎
「そういうこと。で、それを探すのがモラトリアム期間」
オリハタさん(仮)
「それは分かる」
玄兎
「オッケ。じゃあそこまで踏まえて、ドラマの主人公の成長ってどういうものかって考えたら、つながらない?」
オリハタさん(仮)
「主人公の成長。ちょっと待って」
玄兎
「どうぞ」
オリハタさん(仮)
「精神的な成長とかって話よね?」
玄兎
「たぶんそれが一番わかりやすい」
オリハタさん(仮)
「モラトリアムとアイデンティティでしょ?」
玄兎
「YES」
オリハタさん(仮)
「モラトリアムがストーリーで、アイデンティティがテーマとか?」
玄兎
「うん。僕もそう思う」
オリハタさん(仮)
「それがドラマの基本的な構造?」
玄兎
「そういうことだと思う。だからまあ大雑把に考えると、ドラマってのは短時間で人生の縮図を再現する構造なんだと思う」
オリハタさん(仮)
「でも解析はそれだけじゃないんでしょ?」
玄兎
「もちろん。色んな解法があるんだけどね。たとえば起承転結ってあるけど、あれそのまま4分類で考えるならヒンドゥーの四住期、四つの住み処のシーズンね、このモデルに相照らしてみると面白い。ちなみに四住期は学生期、家住期、林住期、遁世期で、これはまあ正式の人たちには怒られそうだけど、大雑把に学習、社会、逸脱、自立なんて段階だと考えられる、と思う。とすると、自立がアイデンティティの確立に相当するわけ。ヒンドゥー教の僧としてのアイデンティティだから、一般の在家信徒みたいな人は社会からは逸脱しないと思うんだけど。序破急の三幕構成には、守破離なんてのもある。これはまず教えを守って、それを破って、そこから離れる、というモデル。技能の習得から習熟に至るモデルなんだけど、もちろんこれも自立に至る物語になってる。一人前になるまでのプロセスだからね、やってることは一緒。それから分母を5にするなら密教思想の五大に沿ってみてもいい。五大の構造っていうとタットワなんかに代表されるステージ解釈で、そのパターンでいくならカバラのセフィロト・ツリーなんかモデルとして分かりやすいし。6分割なら孔子のあれ、論語の我、十五にして云々ってやつも使える。それから、これから話そうと思ってるのはユング式のタローのライフサイクル解釈で、小アルカナの10分割と、大アルカナの22分割。これを合わせ技にするときは、セフィロト・ツリーの10セフィラ+22パスを解釈するとか、あとはまあ、ドラマ適正を考えるなら大アルカナはデスに至る14枚か、あと小アルカナの解釈としてのトランプカードに合うようにフールまたはデスを除いた13分割法にするとか。大塚の物語の体操に書かれてるカードを使った訓練なんか、タローの占いそっくりだし」
オリハタさん(仮)
「はあ」
玄兎
「あ、ごめん。走りすぎた」
オリハタさん(仮)
「一応その、色んな構造があることは分かったけど」
玄兎
「それぞれ別物に見えるんだけど、実は切り分けるポイントの違いだけで、全体の流れは四住期も五大も論語もセフィロトもタローも、みんな同じモデルなんじゃないかと思うわけ。つまり時系列による因果の物語、人間があるひとつの確信を得るに至る物語としては」
オリハタさん(仮)
「人生のモデルは普遍的だ、て言いたいわけね」
玄兎
「言いたいわけ。この辺は神話からシェイクスピアから、その辺の古典文学の研究だから、少なくとも千年やそこらの歴史の蓄積がある、と思う」

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