恩師の研究ノートを浚ってた折に、分かりやすくて目に付いた話。
興味がある人がいるんだかいないんだかという。
まあ基本、自分メモですんで。
ページの内容
〈Deliberatio〉という〈遊戯〉
関係ありそうな部分を、外国語やら記号やらを翻訳して、大雑把に分類してみたのが以下のテキストになります。一言一句同じわけじゃないんですが、だいたいの趣旨は合ってるはず。(マインドマップみたいな図が多いんで、ニュアンスまで正確になぞれたかは不明)
〈遊戯〉の拡張
#21 (77.10)
カイヨワは〈遊戯〉の要素を〈アゴーン〉、〈アレア〉、〈ミミクリー〉、〈イリンクス〉の四つに定義した。
だが現代人の遊戯には更にもうひとつの要素を加える必要がある。
仮に〈Deliberatio〉とする。
意味は「熟考」または「熟慮」。
これは〈言語〉による〈建築〉そのものである。〈建築〉の実践として他の四要素と組み合わせて使われることもあるが、これは単独でも〈遊戯〉として成立するものと考える。
#22 (77.10)
現代人が何故〈Deliberatio〉を〈遊戯〉に出来たかといえば、それは一重に余裕であろう。
発達した科学文明により過剰に余暇が出来たことで、それは〈遊戯〉になった。
#133 (79.10)
考える事それ自体が〈遊戯〉だと言ったら、志ある学者から批判されるだろうか?
「熟考や研究が遊びでしかない」――そう言われれば激昂する人間もいるに違いない。
だがその研究は本当に役に立つものなのだろうか?
#419 (82.2)
〈遊戯〉とは「必ずしも社会的な価値を持たない行為」とされる。
また現在ある多くの〈学術〉研究も、過去には価値の無いものとみなされていた時代もあったようである。ならば研究とは「社会的な価値を与えられた〈遊戯〉」であるのかもしれない。
それはつまり、社会的な価値を失うことで、いつでもただの〈遊戯〉に戻ってしまうことを意味する。
#1711 (96.7)
〈遊戯〉が「必ずしも社会的価値を持たない行為」だとしても、それはそれが行われている時間・空間の価値に過ぎないのではないか。
〈遊戯〉はやはり社会活動であると考えられないか。子どもたちの遊びに見られる「一人遊び」には、仮想の相手が存在する。
遊びには常に複数の視点、複数の立場が存在することの表れであろう。
ならばそれは〈社会〉と呼べるものではないだろうか。
#1712 (96.7)
#1711に接続
まさに〈遊戯〉は、それが行われている最中とは異なる時間・空間の社会との関連性が強く見られる。
〈遊技〉とは遊離したまま複数の異なる時間・空間に連結される社会的活動ではないか。
このとき〈Deliberatio〉は〈遊戯〉の敵手であるのかもしれない。また同じ地点に戻ってきたようだ。
教育
#347 (81.4)
研究の足場を確保した。
本当に〈学術〉とは〈価値ある遊戯〉であるのだろうか。
#570 (84.2)
学校教育によって伝えられる〈学術〉とは、ある社会においては確かに価値を持っている。
しかし同時にそれを否定することも容易い。
学校教育によって学んだ事柄は、全ての元・生徒たちが、社会に出て役立つこととは限らない。
「加減乗除が出来れば生活するには困らない」と揶揄されるように。
つまり〈学術〉もまた、社会的価値を与えられた〈遊戯〉に過ぎない。
#578 (84.3)
〈学術〉をただの〈遊戯〉にしないためには、その社会的価値を見失わないことだ。
より具体的には「どのような分野でどういった価値を持つのか」を理解することである。
それを見失えば、〈学術〉は容易く ???*1[???] = 原稿の筆記体がグチャグチャすぎて読み取れなかった。たぶん “Pragmatist” だと思うんだけど に糾弾される。
優れた研究者と優れた戦略家は、どちらを欠いても勝利は覚束ない。
#895 (89.7)
行為に価値を見出し、価値に至る行為を模索する。
その技術を伝えることが〈教育〉の目的ではなかろうか。
#1718 (96.7)
〈Deliberatio〉に〈教育〉という価値を与えることは容易い。
しかしそれはやはり安易で、まず〈教育〉の価値について論ずる力が求められる。
可能性に頼る批評では力がない。
ゲームとパズル、ロールプレイングゲーム
#1658 (96.2)
コスティキャンのゲーム論が翻訳された。
これに沿って〈Deliberatio〉について考えることにする。
(遊戯論を考えるのは久しぶりだ)
すると〈Deliberatio〉そのものは〈ゲーム〉ではなく〈パズル〉の要素になるだろう。
#1659 (96.2)
〈パズル〉に〈ゲーム〉の要素を織り込むことで〈パズルゲーム〉となる。
『パックマン』や『テトリス』など〈Deliberatio〉の要素を含んださまざまなコンピューターゲームが〈パズルゲーム〉に当たる。
#1671 (96.3)
「シミュレーション&ゲーミング」に照らせば〈Deliberatio〉はシミュレーションのことか。
#1676 (96.3)
アナログゲームの中で良く知られた〈パズルゲーム〉として、カードゲームの「スピード」がある。
「スピード」の要点は、以下の 5点にまとめられる。
- 「互いの選択肢*2[選択肢] = 原典には「行動可能性」とある。には限りがある」
- 「選択肢は徐々に狭まっていく」
- 「状況は刻々と変化していく」
- 「瞬時の判断が求められる」
- 「選択肢の優劣が存在する」
このうち厳密に〈Deliberatio〉の要素と呼べるものは[5]だけだが、それによって[1]~[4]の価値が支持される。
#1702 (96.6)
ロールプレイングゲームは、まずこの〈Deliberatio〉を強く持った〈遊戯〉である。
また「スピード」との近似性も伺える。
それは会話の持つ性質であるとも言える。
#1703 (96.6)
#21の〈Deliberatio〉の定義について改訂する。
〈Deliberatio〉とは〈言語〉による〈デザイン〉である。
だが〈デザイン〉は常に〈言語〉によらざるを得ない。
故に「〈言語〉による」の前提は重複とみなすことができる。
ならば〈Deliberatio〉の正体は〈デザイン〉であろうか。
#1704 (96.6)
ロールプレイングゲームを論じるには〈言語〉と〈デザイン〉を論じなければならない。
FMA20*3[FMA20] = 「RPG創作構造掌論」の元になった講義ノート。〈言語〉と記号論について。,60*4[FMA60] = 建築における近代批判の資料らしい。未入手。を再検証すること。
それによってダニガンのロールビルディング・ゲームを内包する。