[column] 遊ぶ環境のデザイン

 先日、友人とエドワード・ホール*1[エドワード・ホール] = Edward T. Hall (1914年生 – 2009年7月20日没)。アメリカの文化人類学者で、『かくれた次元』や『沈黙のことば』の著者。の話になって。
 なんでも去る 7月20日、ご自宅で亡くなられたとのこと。
 ご冥福をお祈りします。

 ……で、そのE.ホールの著書『かくれた次元』と、そこで書かれた〈プロクセミックス*2[プロクセミックス] = “proxemics” 〉にまつわる話になって。ちょっと面白かったので、その辺について。

プロクセミックスとは

 あ、ちなみに〈プロクセミックス〉って言葉自体はE.ホールの造語だったわけですが、かなりの時間が経過していることもあって、既に英和辞典にも掲載されてたりします。こんな具合に。

proxemics

近接学{きんせつがく}、《解剖》近位{きんい}の◆人間がほかの人たちとの間に必要とされる空間やその空間と文化の関係などを研究する学問

提供元:「EDP」

 まあそれはいいとして、そのときの話で面白かったことを、ちょっと。

物理的(空間的)環境による技術の変化

 体験的に蓄積したものを、経験化してフィードバックする。その繰り返しでプレー技術を磨いていくわけだけど、そうやって身に付けた技術というのは、たとえば「TRPG でゲームマスターをする技術」とか「○○のシステムを取り回すときの技術」なんて視点では考えられていても、「プレーされる物理的環境に合わせる技術」という視点では、あんまり語ったことが無かったんじゃないかなぁ、とか思ったんですね。*3[あんまり語ったことが無かった] = まあ「12人いる!」みたいな話も書いてはいるのだが。
 そんなことを考えたのは、その友人に、僕が「セッションする環境によってマスタリングの方法そのものを変えている」と指摘されたからで。

 たとえば「カラオケボックスでのセッション」と「ホテルの会議室でのセッション」、それから「個人宅でのセッション」での違い。また「長机でのセッション」、「円卓でのセッション」、「学校の授業型セッション」、「炬燵でのセッション」での違いがあります。
 いくつか例を挙げてみると……

カラオケボックスでのセッション

 照明の暗いカラオケボックスでは、小道具を使うにしてもなるべく輪郭で分かるような、極端な違いのあるものを使う。またなるべく筆記の用がないように、使用するシステムは扱う数字の小さなものを、リソースとなる数値はチットで表す。

 閉鎖性の高いカラオケボックスでは、マスタースクリーンで仕切ると線引きの効果が強すぎだし、そもそも資料チェックにも暗いので、クローズドダイスのときだけ手で隠すようにして、後は基本的にオープンで進める。(オープンでは目に蛍光塗料を塗った大ぶりのダイスを使い、クローズドでは小さなダイスを使う等、ダイス自体を変えることもある)

 狭いカラオケボックスでは参加者同士の席幅が狭くなるが、それによってコミュニケーションの密度が高くなりやすく、どちらかといえば雑談が多くなりやすい。そのためシナリオも戦闘など厳密な管理が必要なものより、場の雰囲気やキャラクター同士の会話、雑談とプレーとが入り混じる形で進めやすい“なんちゃってミステリー”型のものが楽しいセッションを演出しやすい。ただしそれによって話が脱線することも少なくないので注意が必要。

ホテルの会議室でのセッション

 ホテルの会議室は全体として明度が高く、窓も大きいなど開放感が有るので、意識が散りやすい傾向がある。そのため会議ではホワイトボードやプロジェクタなどで視覚情報を一点に集中し、運動をコントロールするわけだが、TRPG でも同じように全員でゲームに集中するため、地図やマクロな視点を表現する小道具をたくさん使用する。

 空間的な広さは、参加者同士の座席の幅にも影響し、たとえば個人宅やカラオケボックスなどと比べて広めに取りやすい傾向がある。それによって参加者間のコミュニケーションも希薄になり、また雑談も切りやすいため、個人間の密なコミュニケーションによる会話劇より、より客観視できるタクティカルコンバット(ミニチュアゲーム)などのシナリオが遊びやすい。*4[ミニチュアゲームの方が遊びやすい] = この辺りがアメリカで d20 の寡占を招いた理由じゃないか? とか。

 距離の広さは発話にかかるエネルギーにも関係し、疲労が蓄積しやすく、また「席を立つ」ことが目立ちやすいので、プレイヤーのコンディションをよく考えて、休憩時間をセットする。

個人宅でのセッション

 個人宅の場合は、その家によって環境条件が異なるので厳密には言えない。
 ただ、他のパブリックやセミパブリックな環境では少ない、「座卓」でのセッションなどは、それに合わせてシナリオやハンドリング技術をデザインする必要がある。

 たとえば椅子と机の環境では、参加者は等しく「椅子に座る」というフォーマットにアフォードされるが、座卓では「胡坐をかく」と「正座をする」などの選択性がある。このとき「正座をする」に比べて「胡坐をかく」座り方では前後への可動域が狭まるため、テーブルの奥にある小道具(たとえばミニチュア)を操作する際にも一手間かかってしまうことに留意する。(あまり動かない魔術師をマップから遠い位置に、よく動く戦士をマップに近い位置に、とか)
 エトセトラ、エトセトラ……

※以上はあくまで僕のマスタリング技術をベースにデザインされたパターンなので、誰もが同じように遊べるわけではないと思います。あくまで経験則にそれらしい理由付けをしただけの、まあ、ペテンの類です(笑)

 こういうことは、セッション前の準備段階で考えているわけです。意識的にやってる人がどれだけいるか? というのは分かりませんが、多くのゲーマーが無意識レベルでコントロールしているだろうなァ、とは思います。
 少なくとも僕は、環境のセッティングによってセッションをある程度までコントロールできる、とは思っているわけで。
 実際のところ、これこそ「管理」じゃないか? と思わないでもないんだけど、まあホテルの会議室でもプレイヤーが詰めて座ったら「席の広さ」による要件は変わるわけで、そういうところは随時チェックしながらシナリオをリデザインしたり、レフェリングを変えたりして対応するのがゲームマスターの仕事なんでしょう。

 これに関連して、同じ環境で繰り返し遊んでいるとその環境に適した遊び方に特化していき、いわゆる「ガラパゴス化」が進んで他の環境でのプレーに適応しづらくなるケースもあると思います。
 僕自身、かつてそういう経験があるんですが、カジュアル環境で遊び続けてきた人が、コンベンションに出るとまったく稚拙なプレーをしてしまうのも、こうした空間的要件の違いによる技術の差、というのもあるだろうなと。
 もちろん「遊びなれた仲間」と「初対面のゲーマー」といった人的環境の違いが大きいし、それを無視するわけにもいかんのですが、閉鎖的な「個人宅」でのプレーに比べて開放的な「コンベンション会場」でのプレーというのは、それだけで異なる技術を要求するもので、そうした点で展望を見誤っちゃうケースもあるんじゃないかな? とか。
 この辺は基礎的なコミュニケーション技術の話で、別に TRPG に限った話ではないんですけどね。

あとがき

 あんまりマニュアル化して硬直しても面白くないんで、あえて不適切なチョイスをしながら別の技術でカバーすれば、新鮮味をアピールすることも出来るわけで、この辺はもっと微細にデザインの分析をしていったら面白そうだなァ、とか話し合ってたんですね。

 よく「属人的」と言われている技術も、解体してみるとギミックで補える点は多々あると思います。(そうしてギミックで補っていることすら「属人的」と言われたりするんだけど)
 「話術」とか「アドリブ」とか言われるものに関しては、確かにどうしようもない部分はあるんですが、それを使わなくても楽しめるゲームというのは演出できますし、「自分の持っている技術」と「自分が遊んでいる環境」との相性、なんてのを検討して「どこで遊ぶか」からデザインしてみるのも、マスタリング技術の向上につながるんじゃないでしょうか?

 また、そのために「プレー環境」と「プレースタイル」、「遊ぶときに留意してること」や「実際に遊んで気になったこと」なんかを話し合うようにすれば、そこからマスターが環境デザインを提案しやすくなって良いんじゃないかなァ、とか思うわけですよ。
 ゲーム歴が長い人ってのは大概やってるような気がしますが、始めて間もないとそういうコトに気が回らなかったりするようなんで、ちょっと書いてみました。

References

References
1 [エドワード・ホール] = Edward T. Hall (1914年生 – 2009年7月20日没)。アメリカの文化人類学者で、『かくれた次元』や『沈黙のことば』の著者。
2 [プロクセミックス] = “proxemics”
3 [あんまり語ったことが無かった] = まあ「12人いる!」みたいな話も書いてはいるのだが。
4 [ミニチュアゲームの方が遊びやすい] = この辺りがアメリカで d20 の寡占を招いた理由じゃないか? とか。