[chat] 20090804#2-動作の分解と表現

投球の分解
クジ
「でもそれがマンガとどういう関係が?」
玄兎
「いやあ、まんまだよ。マンガはペルソナシナリオを静止画と文字に起こしてる表現メディアなわけで。そういう意味ではメタな構造を持ってると思うんだけど、まあそれはいいや。で、もちろんマンガ独自の構文もあって、定型文で省略してもいいんだろうけど、その構文だけだとストーリードラマとしては、ちょっと弱い部分があるんでしょ」
クジ
「リアリティとか、そういう話になりますか?」
玄兎
「今の話でそこにすぐにつながるんだ」
クジ
「なにか変でした?」
玄兎
「いや、単に嬉しいだけ。えー、じゃあ続けるけど、マンガ的な文法ってか、どっちかというと映像的な話なんだけど。たとえば野球マンガでね、剛速球で鳴らした投手がいるとして。速球派に共通するパターンっていうのがあって、その辺をおさえておくと速そうな画面になるとか」
クジ
「効果線とか?」
玄兎
「もちろん効果線でもいいんだけどね。根性論がまかりとおってる世界観だったらまあ、それで十分な表現になるんだけど。もうちょっとスポーツ科学とか取り込んで、リアリティのある世界観を構築したかったら、よく言われるのは左手のポジション」
クジ
「左手?」
玄兎
「左手。基本的なところを押さえると、まず投球動作に入ったときに、左足を上げてピタッと止まる。それから体を前にスライドさせながら左足が前に出て、ここで上半身が弓を引くようなフォームになるわけだけど、このときの左手の位置。というか高さ。これを肩より高くする」
クジ
「こんな感じですか」
玄兎
「そうそう。で、そこからこう、足が着いて腰を切って、左手を思いっきり引く」
クジ
「右手はまだ後ろですか」
玄兎
「だね」
クジ
「とすると胸を張るような感じですね」
玄兎
「そうそう。左の肩肘を引きつけながら、溜めた右腕がブン、と来る」
クジ
「画面としては分かったんですけど、これがスポーツ科学に裏打ちされてるんですか?」
玄兎
「まあ単純な話をすると、球の速さを左右するのは、1つは右腕の振りの速さでしょ。銃の砲身内で弾速を加速させるか、というか」
クジ
「アニメ版ハルヒの長門とか異常ですよね」
玄兎
「ああ、あれも異常性の表現だよね。手首だけでズバン。手首のスナップが昔のバッティングセンターのマシンアームを越えてそうな勢い。しかも握ってないって。で、だからまあ、振りを少しでも加速させるのが1つの要点になる。加速するには距離が必要でしょう」
クジ
「車と同じですか」
玄兎
「そうそう。で、そのときまず、スタートで左肩が高くなると、自動的に右肩は下がるでしょ。こう、ここでちょっと距離が稼げる。マサカリ投法って知ってる?」
クジ
「サンデー兆治ですね」
玄兎
「なんでそんな古いニックネーム知ってんのさ」
クジ
「父がファンなんで」
玄兎
「そうなんだ。あの人のフォームってこう、思いっきり左肩を上げたところから、縦に振り下ろすフォームでしょ。それで今でもマスターズリーグで140キロ出してる。もちろん超人的なトレーニングがあってのものだけど。あと、そう、野茂のトルネード投法も、背中が見えるくらいねじってる」
クジ
「つまりこの、ここの軌道を稼いでるってことですよね」
玄兎
「そうそう。で、次に速度にいくけど、右腕の速度は、それを引っ張る右肩の速度がまず有る。で、その右肩の速度をどう出すかって言ったら、ここの回転ね。体の中心軸からこう、コマ状に回転させる。そんで、そのときに左手の使い肩がまた大事なわけ。実際にちょっとこう、腕に力を入れないで肩を回してみて」
クジ
「こうですか」
玄兎
「なるべく速く」
クジ
「むずかしいですね」
玄兎
「じゃあそこで、左肘を使って。壁にエルボー入れないようにね」
クジ
「よっ。ああ」
玄兎
「そういうこと。ボクシングでストレートを振りぬくときのコツと、たぶん理屈は同じ。で、それから子供がピッチャーやるとき、よく左足を前に出しすぎたりするんだけど、実はここの距離ってそんなに前に出しすぎない方が良かったりして、それがなんでかっていうと、腰を切るときの力点にこう、右足が関係するから。ここからここまでの水平軌道で加速限界から減速にシフトする直前に、二段ロケットの要領で右足がドンと機能する。左足を前に送りすぎると、右足で蹴れる余地がなくなるから二段ロケットが使えなくなる。で、最後にボールの軌道の限界点でリリースされて、こっち向きのエネルギーとボールの回転で空気抵抗やら揚力やらがこう発生して、こっちにボールがこう飛んでいく。結局こう、足元から肩まで回転というか、ねじるエネルギーを上に効率的に伝えていくための方法ってのがあって。今のところの研究結果が、おおよそ今話したような感じになってる、らしい」
クジ
「らしい、ですか」
玄兎
「あの手の研究って結構目まぐるしく変わってるからねえ。これもまあ僕が高校生だった頃の話だから、完全に昔話なんよね。もう間違いになってる可能性は十分にある。それに子供の未熟な筋肉でやるには、危ないことも多いし。最近だと武道とか古武術とかの研究成果を応用した話とかも入ってくるし」
クジ
「でもさっきの胸を張るような表現って、よく使われてませんか?」
玄兎
「あるよ。だからそれは水島先生とか、先人の研究結果としてまあ、文体としては既に確立されてるんよ。『俺たちのフィールド』のこう、シュートフォームとかもダイナミックに見えて、わりと合理的なフォームになってるように見える。溜めとねじれの表現が綺麗なんだよね。まあ漫画表現だから、極端なことに違いは無いんだけど。結局さ、そういうのは好きな人が、じっくり見て研究した結果として発明されたものであって、かなり細かいところまでしっかり見て理解してないと、先人が描いたもののトレースしか出来なくなっちゃうわけで」
クジ
「なるほど」
玄兎
「だから本物をよく見て分解するのは勉強になるって話でさ。一流とされる人たちは、独自研究か科学分析かは分からないし、それを言語化できてるかどうかも人それぞれなんだけど、とにかく技術としてそれぞれ合理的なものをちゃんと持ってる。それがあるから一流になれるんだろうけど」
クジ
「耳の痛い話です」
玄兎
「まあ、それを確立するための実験のステージには立てたんだから、あとはやるだけだよ。出来なかったら下から引きずりおろされるだけの話で」
クジ
「きついっす」
玄兎
「出来ると思ったから引っ張り上げたんだけどね。まあ、どうするかはご自由に」
『耳をすませば』
玄兎
「で、えーとスポーツの場合は目的が限られてるし、プロの中でも格付けがはっきりしてるから、わりと直線的にフォーマットが出来上がってるんだけど、ストーリードラマを描く時は、更に複雑になっていく。メンタルとフィジカルの、見えるものと見えないものの表現を一致させられないと、いかんわけだから。これがものすごくはっきり分かったのは、『耳をすませば』のワンシーンなんだけど。『耳をすませば』を見たことはある?」
クジ
「ありますあります。好きです」
玄兎
「僕もあれは大好き。ジブリ作品で一番好きだって言うとまあ、どっかから怒られそうだけどまあでも本当のところで。あれの近藤監督の凄さにはマジで圧倒される。あれのさ、最後に玄関を閉めるときの動きとか、覚えてる?」
クジ
「えー。ちょっと、思い出せないです」
玄兎
「思い出せんか。ここで話が通じたの、業界人以外じゃ今まで一人しかいないんだよなあ。切ない」
クジ
「どんなです?」
玄兎
「ああ、もう見たほうが早いかな」
玄兎
「ここ」
クジ
「細かっ」
玄兎
「ここが『耳をすませば』で一番好きなシーン。マイフェイバリット」
クジ
「フェイバリットですか」
玄兎
「このカットに未だに勝てないんよ」
クジ
「そんなに凄いカットですか、これ」
玄兎
「原作にあるのか知らないんだけど、無かったとしたらこれ、ここのカットが描けた瞬間に俺だったらガッツポーズする。それくらいのカットだと思うけど。うん」
クジ
「10秒ありませんよね」
玄兎
「約8秒かな? 上手から走ってきて、靴履いて、傘立て倒して、ドア開けて、倒した傘立てを見て、階段の方を見て、ドアが閉まろうとするのを手で止めながら駆け出して、放したドアが動き出して、戻ってきて音がしないようにそっと閉める。傘立てが倒れた時は急いでるのに、ドアが閉まる時はちゃんと静かに閉めようとする、ここの心の動きがものすごくリアルで」
クジ
「ああ」
玄兎
「大袈裟に言えば、それこそ大人と子供の共存って言うか、家の中ではまだ子供なんだけど、一歩外に出た瞬間から大人になろうとする動きに変わってる。シンボリックに考えれば、扉を閉めることで自分の中の子供と決別しようって一文だわな。まあそこまで穿った見方をする必要はないと思うし、もっと単純に傘立て倒して音させちゃって、静かにしなくちゃいけないことを思い出して、ドアは静かに閉めようとする、て流れだったのかもしれないんだけど。それはそれでリアルによくある感覚だし、それはそれで生活感があって筋が通ってる。でもまあ雫って女の子がそういうことを気にする、気に出来る子だと考えると、可愛いしリアルでしょう?」
クジ
「玄兎さんそういう子が好きですか」
玄兎
「好きかどうかは別だなあ。でもまあ可愛いと思うのは確かだね。ありがちなアニメの文法ではここ、心が逸って駆け出していくカットなわけですよ。青春の表現にちょっと笑いを入れるなら、ここでドアが大きい音を立てて、お母さんあたりに寝言を言わせるとか、雀が飛び立つとかね。前半のほうで後ろ手に閉めてるカットがあって、連続性を持たせるとそういう動きをさせても良かったと思うんだけど。漫画的にも描きやすいでしょう」
クジ
「コマ割り想像できますね」
玄兎
「でもそれだと子供のままなんだよね。雫の中に他人が存在しない。それじゃあこの作品のテーマにそぐわないだろうし、成長表現としても弱い。そもそもアニメって過剰に子供っぽくキャラクターをデザインするところがあって、それはまあキャラクターに愛嬌を持たせるために必要なんだけど。可愛いは正義というか。ただそれによって表現が制限されてるところが有って」
クジ
「その辺はマンガの方がやりやすい、こともないか」
玄兎
「絵の表現としては、どっちも同じベクトルに転がってる気がするよね。まあ美しい、に比べて可愛い、はユーザも表現も幅が広いから、商業的にも扱いやすいコンテンツではあるんだけど」
クジ
「可愛いは正義ですよ。上手く描けないけど」
玄兎
「いや君のデザインはあれでいいと思うけどなあ。話のエグさはまあ、人を選びそうだけど」
クジ
「よく言われるんですけど、そんなにエグいですか? あれ。普通ああでしょう、だって」
玄兎
「いやまあ同感というか、リアリティを考えるとものすごく適切な表現だと思うんだけど、たぶん最近のマンガの文法からは無くなりかけてる表現って気もする。黒手塚的というか。『鳥人大系』とか『火の鳥』の宇宙編とかに近い」
クジ
「でも『ベルセルク』の流れが有るじゃないですか」
玄兎
「ああ、そうか。そっちを向いてるのか。なるほど」
クジ
「事実を事実として描いてるだけではない、つもりなんですが」
玄兎
「グロ表現ってどうしても、意味より画面だけで判断されるからねえ。ナイスボートはまあ、あれは必要だったんか知らんけど」
クジ
「あれのせいでまた、表現が難しくなった感じがしますよ。面倒なことしてくれたなあと」
玄兎
「迷惑だった?」
クジ
「編集さんが気にするようになりましたし」
玄兎
「それは確かに面倒だなあ」
クジ
「て、脱線してますよね」
玄兎
「ああごめん。そうじゃないな、えーとどこまで戻すか」
クジ
「ペルソナシナリオ?」
玄兎
「そこか。とすると、だいぶ趣旨がずれちゃったなあ。その線で考えてたのは要するに、細かい動きまで注視して、内外の筋の通った絵にすること。そうしてやっと、リアリティのある画面が作れるというか。なんかこう、マニアというか、もうフェチの域にまで達してる人とか、描き込みの細かさとリアリティの凄さが違うじゃない?」
クジ
「ああ、それでM先生のスカートのヒラヒラとか」
玄兎
「そう、M先生のスカート愛が。てかM先生て」
クジ
「M先生です」
玄兎
「保全活動へのご協力に御礼申し上げます。まあ金田先生とか荒木先生みたいに、有無を言わせぬ迫力でリアリティをねじ伏せるアプローチもあるんだけどさ」

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