“ゆきて帰りし物語”――もっと素っ気なく“行って帰ってくる話”ですか。日常から非日常へと旅立ち、そこで何かを手にして日常に帰ってくる。そういう構造が、多くの「おはなし」の基本になってるんじゃないか? というのは、何度か扱ってるネタですが。
ページの内容
行って行って帰って帰らない物語(笑)
TRPG の構造は、まず儀式的にプレイヤーが「ゲーム」という非日常へ没入し、続いてプレイヤーが扱うキャラクターたちもまた「冒険」という非日常へと旅立っていく。そしてキャラクターが冒険を終えて帰ってくると、ゲームも終わってプレイヤーも日常へと戻ってくる。
TRPG は、そういう「二段オチ」の構造になってるんじゃないか? ……というのを B.W 氏が丁寧な図説で説明してくれました。マーベラス。
で、えーと。
ここから「プレイヤーが非現実に旅立つ」のと「キャラクターが非現実に旅立つ」のは、切り離して考えることも出来るよね、とか思うんです。
「行きっぱなし」という悪魔の誘い(笑)
ビッグゲーム――たとえば『第二次欧州大戦』――を遊んでいた当時、プレイを中断した翌日なんかはもう、学校の授業なんて右から左に聞き流していて、アタマの中では延々とシミュレーションを繰り返したりしたものです。立派なゲーム中毒患者(笑)ってやつですが、この状態、言ってみれば「ゲームという非日常に旅立ったまま帰ってきてない」状態なんじゃないかと。
長いこと濃厚なキャンペーンゲームを遊んでいると、キャラクターに対する愛着が生まれてきます。冷めた見方をすると、それは単なる「仮想世界の住人」でしかなく、脳内でいくらでも生成も捏造もできる、量産可能な情報でしかないわけです。でも、それを思い続けている人にとっては、仮想世界の住人であれ単なる電気信号であれ、大事なものであるのに違いは無い。
その辺がまた TRPG にハマる要件の一つだと思ってるわけです。少なくとも昔はそういう形でハマっている人が多かったと思います。
捉えて離さない「行きっぱなし」ツール(笑)
たとえばグローランサの大地で、あるいはスピンワードマーチ宙域で、その他さまざまな異世界で今も遊んでいる人々も、そうした「行きっぱなし」な人たちなんじゃないかと思うんですね。
通常、こうして一時的に「行きっぱなし」になっても、時間経過とともに日常の情報によって自然にゆっくり帰ってくるものです。日常ってのはそれだけの力を持っている。だからそこで、「行きっぱなし」の人たちを日常に「帰さない」何らかの力が必要になります。
これをもっとも強くアシストしているのが、日常生活の中に混ざってくるゲームに関連する情報です。
直接的には、ソースブックやシナリオ集、あるいは追加データやファンの作成した資料などによる燃料投下(笑)
間接的には、それぞれのゲームで扱ってる話題に近い様々なメディア*1[ゲームに近い様々なメディア] = 主に漫画、ラノベ、アニメなど。による記憶の喚起でしょうか。
我らがトラベラーなんかも、こないだ GURPS タイムライン*2[GURPSタイムライン] = 『Traveller』は現在、純正 Traveller の系譜――MT(Mega Traveller) ⇒ TNE(Traveller: The New Era) ⇒ MMT(Marc Miller’s Traveller)――の他、MTで扱われている「内乱」が起こらなかった世界として「GURPSタイムライン」がある。こちらと純正とでは歴史の進みが大きく異なるため、かつては「GURPGタイムライン」の扱いについて、Traveller ファンの間でもしばしば口論になっていた。今はどうなんだろう?で、背景世界における最重要 NPC の一人、皇帝の甥にして血統上の次期皇帝たるルカン・アルカリコイ*3[ルカン・アルカリコイ] = いやまあこの設定はメガトラのものだから、GURPSタイムラインの場合は「血統上の次期皇帝」ってのは違うかも? GURPSタイムラインは全く追ってないので知らない。に子供が生まれたニュースが流れたそうです。
いくら準公式設定だからって、「NPC に子供が生まれた」なんてパーソナルな話が*4[パーソナルな話が] = もちろん、帝室の血統ともなれば、ただ一個人の問題とだけ処理してよい問題でもないが、こうした事柄を実際のゲームに取り込むよう意識を向けさせることも「行きっぱなし」にさせる要因の一つ。流れたりするんだから恐れ入ります(笑)
とっても強固な「行きっぱなし」コミュニティ(笑)
カジュアル、特に身近で小規模なプレイグループでよく遊ぶような環境というのは、こうした「行きっぱなし」が比較的容易に出来ます。
身近で小規模なプレイグループという環境では濃厚なコミュニケーションが取りやすく、そこでは本来なら非日常であるはずの「ゲームの仮想世界」について話すことが、徐々に日常的なものとして認識されるようになっていくためです。
こうした「行きっぱなし」の構造は、もちろん諸刃の剣という性質を持っています。同時に「自分を客観的に見る目」を養っておかないと、閉鎖的な環境から外へと目を向けることが出来なくなってしまうケースがありますので。
ごく小規模のプレイグループのローカルルールを一般化してしまう、いわゆる「老害」の一種を生んでしまう苗床にもなりかねない。
ですからそう安易に推奨していいモノでもないわけですが、だからといって安易に否定してしまうのもモッタイナイ……と思ったりもします。実際それはとても楽しい遊び方だし、TRPG という遊びは必ずしもコンベンションで遊ばなければいけない、というものでもありませんから。
「行く」スイッチとしてのインターネット
こうした「行く」「帰る」をスイッチのように ON/OFF させるのに、インターネットは好都合だったりします。物理世界から情報世界へのシフトというか、どう定義するかはともかくとして、感覚的に「日常生活とは別の空間」ってイメージをしやすいんでしょうね。
で、その方法ですが。
インターネット上には情報をプールしておいて、いつでも簡単にアクセスできる性質があります。ですからここに非日常、つまりゲームの情報を蓄積しておいて、いつでも閲覧/編集できる構造を作っておけばいい。
セッションのプレイログ、または編集したリプレイを掲載しておいたり、キャラクターデータやイラスト、サイドストーリーを掲載しておくのでもいい。セッションの背景にあった歴史や、ゲーム世界の習俗、文化に関する記述、あるいは用語集なんか作っておくのも面白い。*5[セッションのプレイログ~作っておくのも面白い] = これらは筆者の経験則。当然、現在進行形で行ってもいる。旧オンセグループで実施していた「オムニバス」と「キャンペーン」は、こうした情報の管理レベルの違いとして区別することも可能。
そうすることで、インターネットにアクセスしている間は、ずっとゲーム世界にアクセスしている、という環境を作ることが出来ます(笑)
「行く」スイッチの利便性
この「行く」スイッチの強みは TRPG の「二段オチ」の構造、「プレイヤーが非日常に旅立つのと、キャラクターが非日常に旅立つのは、それぞれ別に行われる」……という構造のうち、どちらか一方、または両方をスイッチ一つで行える、という点です。
短時間セッションでは「キャラクターが非日常に旅立つ」プロセスを演出することが難しく、そのため通常の TRPG はマサラゲーム(笑)*6[マサラゲーム] = マサラムービー(インド映画)に准じた造語。娯楽要素をこれでもかとばかりに詰め込みまくったゲームのこと。TRPGだけでなく、デジタルゲームのRPGでも大作と呼ばれるものは、そうした性質を持っているものが多い。になってしまうわけですが、最初から「行きっぱなし」の構造を作っておけば、そうした問題を回避することも不可能ではないと考えます。
そういう意味では「一つの物語を何話にも区切って遊ぶ」キャンペーンというスタイルは、オンラインでこそ生きてくるのかもしれません。
References
↩1 | [ゲームに近い様々なメディア] = 主に漫画、ラノベ、アニメなど。 |
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↩2 | [GURPSタイムライン] = 『Traveller』は現在、純正 Traveller の系譜――MT(Mega Traveller) ⇒ TNE(Traveller: The New Era) ⇒ MMT(Marc Miller’s Traveller)――の他、MTで扱われている「内乱」が起こらなかった世界として「GURPSタイムライン」がある。こちらと純正とでは歴史の進みが大きく異なるため、かつては「GURPGタイムライン」の扱いについて、Traveller ファンの間でもしばしば口論になっていた。今はどうなんだろう? |
↩3 | [ルカン・アルカリコイ] = いやまあこの設定はメガトラのものだから、GURPSタイムラインの場合は「血統上の次期皇帝」ってのは違うかも? GURPSタイムラインは全く追ってないので知らない。 |
↩4 | [パーソナルな話が] = もちろん、帝室の血統ともなれば、ただ一個人の問題とだけ処理してよい問題でもないが、こうした事柄を実際のゲームに取り込むよう意識を向けさせることも「行きっぱなし」にさせる要因の一つ。 |
↩5 | [セッションのプレイログ~作っておくのも面白い] = これらは筆者の経験則。当然、現在進行形で行ってもいる。旧オンセグループで実施していた「オムニバス」と「キャンペーン」は、こうした情報の管理レベルの違いとして区別することも可能。 |
↩6 | [マサラゲーム] = マサラムービー(インド映画)に准じた造語。娯楽要素をこれでもかとばかりに詰め込みまくったゲームのこと。TRPGだけでなく、デジタルゲームのRPGでも大作と呼ばれるものは、そうした性質を持っているものが多い。 |