僕は教育学とか児童心理学とか発達心理学とか、そういう難しそうな話についてはロクに勉強したことが無いので、本エントリについても基本的には単なる経験則 or 耳学問でしかありません。
あるいは全く間違った話をしているかもしれませんので、くれぐれも鵜呑みにしないよう、自己判断でよろしくお願いします。
久々にトラバいただいちゃいました(^^)
ああ、直接触れないように迂回してきた領域に accelerator 氏が吶喊された!
久々のトラバにちょっと浮かれ気分なんですが、生憎とあんまり上手いコト考えがまとまらんので、軽度発達障害に対するソーシャルスキルの指導じゃないんだけど、コミュニケーション能力に関する TRPG の教育効果について、考えてるコトを書いておきます。
ページの内容
序、あるいは結論
僕は TRPG によってコミュニケーション能力の向上が可能だ、と考えています。
そもそも僕は TRPG を“自由七科の末裔”だと思ってますんで。
自由七科とは
自由七科とは、古代ローマにおける“自由人*1[自由人] = 古代ローマの「自由人」とは、単に「奴隷ならざる人」を指す。 のさまざまな技術(artes liberales)”に端を発し、後に“自由人の七つの技術(septem artes liberales)”として制定されたものを指します。
これは三学――すなわち文法学、修辞学、論理学――と、四科――すなわち数論、幾何学、天文学、音楽――を合わせたもので、中世ヨーロッパにおける教育術の集大成となりました。
現代にも「リベラル・アーツ」の呼称でこれが継承され、日本でも戦後教育の範としてさまざまな形で取り入れられています。(大学の「教養学部」は、まんまリベラル・アーツのことだそうです)
自由七科では「基礎教養」と「思考方法」についての教育が行われます。
ただ知識を暗記するのではなく、知識の連結によってさまざまな情報を創出することが、自由七科の基本姿勢となります。
TRPG による教育効果は、この自由七科のうち、特に修辞学、論理学、幾何学に特化していると考えています。
比喩法(修辞学の一分野)~“たとえ話”の妙
TRPG では「ゲーム世界」という本来ありえない幻想――イマジネーション――を取り扱います。
そのため会話も“たとえ話”などの比喩表現を多用することになります。
たとえ話というのは表現したい幻想に近く、また聴衆の知る“現実のなにものか”を介することで、本来語りたかった内容に程近い幻想を持ってもらう〈対話〉の技術です。
これは表現したい対象そのものを語らず、聴衆の想像力に拠って“幻想を再生する”という技術になります。
小難しいことを言っていますが、実は幼児の頃から誰もが使っている技術です。
幼児は少ない語彙を補うため、指示語と比喩法(特に直喩)によって聴衆に語りかけます。
ただ、幼児がこれを用いるのは日常会話の語彙すら不足しているためであり、また情報伝達に関しても、“その表現で聴衆に伝わるか?”ということについて特に判断もなく、聴衆に完全依存する形で用いられています。
それに対して TRPG は、基本的に参加者は対等な関係にあります。
これは発言について、幼児のように聴衆に完全依存するような一方的な発信では許されないことを意味しています。自然、相手にわかるような言葉、わかりそうなたとえ話を選ばなければなりません。
そこに修辞法、特に比喩法の学習効果が発生します。
もちろんこれは日常会話でも習得できることです。
また、そうでなければいくら TRPG の技術が向上したところで「TRPG に学習効果がある」とは言えません。
こうした TRPG による比喩法の学習効果とは、“扱う状況が常に幻想であるため、必然的にたとえ話をしなければならない”という点にあります。
論理学 ~ 演繹法と行間補完
TRPG というゲームは、常に“因果関係が明らでなければならない”という鉄則があります。
これはゲーム世界のリアリティを維持するためであり、真剣に幻想を扱う――ゲームをプレイする――ための前提条件となります。
因果関係があやふやな状況が発生した場合、現実であれば「それでも起こったことなのだから、何らかの因果関係が成立するのだろう」という信頼は崩れません。しかし、元が幻想であるなら、それはただの嘘っぱちです。誰もその幻想を信じようとは思わないでしょう。
それはゲーム中の“現在の状況”に、何の意味も無いことを意味します。
因果を無視してデタラメにでっち上げられた結果だけが急に出現するのであれば、あらゆる現在の状況への対処はまったくの無駄であって、そんなモノを真剣に扱うなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある……と言うわけです。
結果として TRPG は、ある面では現実より厳しくその因果関係を明らかにしなければならない、という性質を持つことになりました。*2[現実より厳しく因果関係を明らかにしなければならない] = 口承文芸、こと民話や伝説においては、この合理性を「魔法」によって付帯しているものがある。短絡的に考えれば、「そこには我々の知る現実とは異なる魔法、すなわち魔の法則性というものがあるのだ」、ということだろうか。
たとえば行為判定を行い、その結果として成功したとして、二つをつなぐ理由は、そのままでは判定結果という“ゲーム世界の外の理屈”に補完されることになります。ですがこれではゲーム世界内での行動と結果がミッシングリンクになってしまいます。
何故成功したのか?
どのように成功したのか?
そういった疑問が生じたとき、TRPG では明確に答える必要があるわけです。
もちろんより淡白に、プレイヤーの視点でゲーム世界を扱うのであれば、ここまで構造に突っ込む必要はありません。それに突っ込んだとしても、最初から出来なければならないわけでもありません。実際、最初のうちはそれほど細かい疑問を持たずに遊ぶことが出来るでしょう。
しかしプレイを続けていくと、同じパターンの繰り返しによるマンネリ化を回避しようとして、自然、構造を詳細にしようと心が働きかけます。
そうして徐々に状況について細かく考えるようになり、結果として因果関係について論理的な思考能力を獲得するに至ると考えられます。
幾何学 ~ 確率分布と図形化
幾何学というと、ある年齢以上の人は高校の理系教科「代数幾何」を思い出すことでしょう。
アレです。図形と方程式を扱う、あの厄介者(笑)
あれを TRPG のどこで使うのか? 使っているのか? というと説明が難しいんですが、直接的には移動距離や構造物の大きさや重さの計算、抽象的には確率分布を数的ではなく図形的に把握することなんかが挙げられます。
この辺はゲームによって、キッチリ計算するものもあればアバウトに演出で処理してしまうものあるため、システム依存度の高い話なんですけどね。
後書き
とまあ、僕はこんな具合に TRPG の教育効果を考えてます。
実際にはもっとさまざまな状況、要件についての教育・治療効果が望めると考えていますが、それは TRPG に限らずその他のゲームでも獲得できるものなので、今回は棚上げということで。(あと、修辞学に関しては上記のほかにも様々な要件が考えられますが、その辺はまともに研究してないので保留!)
自然七科の修辞学、論理学、幾何学については、もしかして認識が間違ってたらどうしようもないんですが、冒頭にもあるとおり、基本的には経験則と聞きかじりなので。スミマセン。
なのでどなたか詳しい方がいらしたら、キッチリ書いてくれると嬉しいなァ、とか他力本願してみます(笑)
ただし各項にまとめた教育効果については、経験上、一応の効果はあったと考えています。
繰り返しになりますが、これは経験則ですから、少なくとも僕の身近な環境では、そうした教育効果が有った……というだけの話です。異なる条件・環境下で、同じように機能することを保証するものではありません。(それに厳密な検証ではないので、別要素による成長である可能性も否めませんし)
【更新履歴】
2008/12/22 : 演繹法に関して口承文芸と魔法に関する補足を追加。また、接続詞がおかしかった一部の文章を修正。
「[Column] TRPG の教育効果」への2件のフィードバック
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