もう二十年以上も昔の話になりますか。
僕がまだ一桁の年齢だった頃、ある噺家さんに「寄席の作法」について習ったんですよ。
僕にとってそれはまあ、子供の頃に習ったことですから常識だと思ってたんですが、最近、その辺の話をするとみんなに驚かれる。
それが面白かったんで、ちょっと書いてみようと思います。
ページの内容
「噺がつまんなかったら寝りゃあいい」
あの噺家の言葉、一言一句覚えてるわけじゃあないですが、大体こんな具合だったということで書いてみます。
引用じゃないんで [blockquote] タグで書くべきじゃないかもなんですが。
「寄席ってヤツはね、小僧さん。
笑ったり泣いたり、心に運動させるために楽しむモンなんですよ。
けどまあ噺家ってのも神様じゃありませんから、面白いときと、そうでねえときがありますよ。
おぜぜはたいて来てくれてるお客さんにゃあ面目ねぇんですが、あるんです。「いいですか、小僧さん。
お客さんってぇのは、噺がつまんなかったら寝りゃあいい。寝ていいんですよ。
『つまんねぇ噺をぐだぐだ聞かされて損した』と思われたんじゃあ、目も当てられませんで。
だったら『ああよく寝た』って方が、こりゃお互い損がなくていいんですよ。
三方一両損、なんてやってたら噺家は三日で干上がっちまいますからね。
だから、つまんなかったらどうぞ寝てください。それが客の作法です。「でもまあね、お客さんに寝られちゃ噺家としちゃ黙っちゃいらないんですよ。
なんとしても起こしてやろうって、まあそうなるわけです。
そうすっと、小僧さん、あたしらどうやって客を起こしゃあいいと思いますか?
『こらーっ! そこ、人がまじめに話してんだから寝るんじゃねぇ!』って怒鳴りつける。
寄席でまじめに話してるってな笑える話ですけど、そういうのは長続きしません。
下手(げて)です。
怒鳴りつけるのはだめ。それじゃあ代わりにどうしましょうか。
……分かりませんか?
そういうときは、あたしら周りの客を笑わせるんですよ。寝てるお客さんのね。「小僧さん。お前さんだって寝てるときに、周りでゲラゲラ笑われてたら、気になるでしょう?
気になりゃ寝れねぇもんですから。蚊が飛んでるようなモンです。寝られない。
寝られないから仕方なく起きる。そこにとっておきを叩き込む。
それで叩き起こすのが、あたしら噺家の心意気ってやつでしてね。
客の作法
客にも作法があります。
それは何も「お行儀よく聞きなさい」ではないんです。
落語というのはそれほど堅苦しい席ではない。
そもそもが大衆娯楽ですから、お行儀よくもへったくれも無いんですが(笑)
「お客さんには三つの作法があります。
よっく覚えて帰ってください。「一、面白かったら笑う。
二、つまんなかったら寝る。
三、ものすごく面白かったら次も来る。
噺家らしい言い分です(笑) (表現者にとっては心臓に悪い話だろうなぁ(笑))
ただ、これって笑い話なだけじゃあないんですね。
ちょっと視点を変えると、とっても大事なことを言っていて。
客の作法 = 意思表示
上記の「客の作法」ってのは、客の意思表示なんですよ。
噺家に向かって客の一人一人が意思表示をする。
でも普通に言葉で意思表示しようとすると、噺の腰を折っちゃうこともあるし、野次になっちゃうこともあるわけで、そういうのはまあ、他のお客さんの迷惑になるわけです。
だからなるべく「他のお客さんの迷惑にならない方法」で噺家に伝える。
そいつが客の作法なわけです。
で、それに噺家は高座から応じるんですね。
冒頭の話にもあったとおり、「周りの客を笑わせる」という方法をとる。
噺の大筋ってのは決まってます。そいつを変えることは出来ません。
ただ、筋が決まっていても、笑わせる場面、盛り上げる場面、泣かせる場面、というのは表現者の舌先ひとつです。
客の反応を見ながら即興でヤマを作り、動かし、感動する場を作っていく。
そこが舞台表現の一回性ってやつじゃないかなと。
「タレント」を共有する
僕は観客が舞台表現の一回性を大に感じるのは、「タレントの共有」だと考えてます。
現在、日本では「タレント」というとテレビに出演する芸能人といった印象が強いですが、語祖であろう英語の “talent” は「才能」「能力」「才能のある人」「人材」などの意味です。*1 [タレント] = 大本は「タラントン」または「タレント」などと表記される古代の重量単位。それが通貨の単位となり、新約聖書のマタイ(マタイによる福音書)で「タレントのたとえ話 : また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。」として登場し、この「能力に応じて預けられるもの = 能力の単位」として「タレント」という語が認識され、英語で「才能」を意味する “talent” へと至ったのではないかとされている。 ここではこの元の意味として使います。
人には「自分にない才能を持つ人に感動する」という性質があります。
感動とは心が動くことで、敬意を示すこともあれば、嫉妬を示すこともある。ポジティブ、ネガティブ、どちらも同じ心の動きであり、感動です。
で、そうした感動を覚える才能に対して、舞台表現というのは〈対話〉できるわけです。
「客の作法」に則って。
そうすると、観客と表現者がキャッチボールをするわけで。
実際にはそれはマンツーマンではなく「少数の表現者と多数の観客」という構造なんですが、観客ができる意思表示のバリエーションは少なく制限されていて、それによって表現者が応答するバリエーションもまた限定されていますから、観客は「自分が発信した意思表示への応答だ」と感じることが出来る。そうして自身の持たないタレントにアクセスし、「一緒に表現する」という一体感*2 [一体感] = 実も蓋もないことを言えば、それは錯覚であるケースも少なくない。が、同時に本当にマンツーマンの〈対話〉が成立しているケースもあるので、そう卑下する必要もない。舞台上からは観客の顔って、はっきり見分けられるモンなんですよ。ステージ後に覚えているかは別として(笑) を獲得します。
記録映像相手では、自分の意思表示に対して表現者が応答してくることはありえませんから、感動の性質は受動的なものに限られてしまい、一体感を味わうことは出来なくなってしまいます。それがライブと記録メディアとの違いです。
References
↩1 | [タレント] = 大本は「タラントン」または「タレント」などと表記される古代の重量単位。それが通貨の単位となり、新約聖書のマタイ(マタイによる福音書)で「タレントのたとえ話 : また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。」として登場し、この「能力に応じて預けられるもの = 能力の単位」として「タレント」という語が認識され、英語で「才能」を意味する “talent” へと至ったのではないかとされている。 |
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↩2 | [一体感] = 実も蓋もないことを言えば、それは錯覚であるケースも少なくない。が、同時に本当にマンツーマンの〈対話〉が成立しているケースもあるので、そう卑下する必要もない。舞台上からは観客の顔って、はっきり見分けられるモンなんですよ。ステージ後に覚えているかは別として(笑) |