このところ難しい話が続いたことで、どーもこのブログが当初の目的からズレていってるようなので軌道修正。ここは元々、僕が実施してるゲームのプレイヤーたちに、僕の手の内を晒すために動かしているものなのです。
さて、ではまたキャンペーンゲームについての話。
*
キャンペーンゲーム最大のネックは、予定調和です。
ここで言う予定調和は、大きく以下の二つがあります。
- 「生存の予定調和」
- 「ストーリーの予定調和」
このうち前者、「生存の予定調和」に役立つ(かもしれない)話です。
*
「生存の予定調和」とは、簡単にいえば「PC の生存は約束されている」ということです。
キャンペーンゲームでなくても大抵の場合、GM は PC を殺そうとは考えないでしょう。しかしそれでも「PC が死ぬかもしれない」という緊張感は必要です。緊張感のないゲームは、達成感に欠けますから。
また逆に、そうした緊張感のある中で、PL は自分がそのゲームに参加するための、そのゲーム世界に直接アクセスするための限られた手段*1[限られた手段] = ゲーム世界に影響を及ぼすことを考えるなら、PC を使うだけが手段ではありません。設定を増やすとか、データを作るとか、できることはいろいろあります。である PC に〈感情移入〉します。そうでなければ RPG は始まらない。だから PC が死なないように真剣に考える。
〈ロールプレイ〉発生以前から、これは変わらない RPG の性質だと思います。
(そして〈ロールプレイ〉が時としてその邪魔になる――PC の死が予想できる状況でも PC が足を止めようとしないことがある――ので、〈ロールプレイ〉を優先することを毛ぎらいするようになった人*2[〈ロールプレイ〉を優先することを毛ぎらいするようになった人] = 当該人物が僕に「ゲームって何だよ」と突きつけてきた張本人です(笑)もいます。ありゃ過保護な親の心境だよな(笑))
たとえゲームとして大局的には勝つことが約束されていたとしても、何の損害も受けずに勝てるのであれば、わざわざ時間をかけてダイスを振る必要もありません。
そこにその必要性があるとすれば、せいぜい「誰が活躍したか」を決めるだけのことで、それはそれでやる意味があるのかもしれませんが、ちょっと悪趣味なような気がします。(たとえば『ソード・ワールドRPG』でファイター10レベルの PC がゴブリン一匹切り倒して功を誇るように)
ただ、ゲームでは常に事故が起こります。予期せぬファンブル、予期せぬクリティカル、 PL の判断ミス、GM の調整ミス……ギリギリの戦闘というのは、そのどれかが起こっただけで簡単に PC を殺してしまいます。
通常のオムニバスゲームであれば、それはむしろ必然として受け入れられる*3[必然として受け入れられる] = 戦闘には常に危険がつきものであり、それに参加したと言うことはその覚悟を持ち合わせていたと考えるので。(嫌なら逃げればいい)のですが、キャンペーンゲームでそれは非常に危険です。PC が死んでしまうと、モチベーションが切れてしまうことがある。
いくつかの手法があるとは思うんですが、僕は“生死”を肉体的なものに限定する必要は無いと考えています。そこでキャンペーンゲームでは、肉体的ではなく、PC の精神的または社会的な“生死”を賭けてもらいます。具体的には「慣れ親しんだ生活環境」や「大事な人物」などです。
キャンペーンゲームにとってこれはとても都合が良くて、ただ「死なない」ということだけではなく、失敗しても再起できるチャンスを作りやすい*4[失敗しても再起できるチャンスを作りやすい] = 失ったものを取り戻すためのゲームを行えばいいわけで。このゲームはほとんどの場合、気合の入ったいいゲームになります。ということがあります。また、これは僕がキャンペーンシナリオでよく使う「PL に作戦を立ててもらう」手法*5[PL に作戦を立ててもらう手法] = 「シナリオ=一人で作るもの?」参照。にも都合が良かったりして。
PL に作戦を立ててもらいながら大局的な状況について理解を深めてもらったり、何が PC にとって大事で、代わりにどういうリスクを負うのかを決断してもらったりと、ゲーム外でもゲームのことを考える時間ができるので、ゲームに対する感情移入を深めたり、モチベーションを上げる効果も期待できます。
この手法は、確かに手間はかかりますし、PL に求めるレベルもそれなりのものになります*6[PL に求めるレベルもそれなりのものになります] = 第一に、作戦立案をする能力が求められます。第二に、ゲーム外時間にゲームのことを考えられる余裕が求められます。もっとも、第一条件については立案内容に併せてシナリオの難易度を調節すればいいだけのことですが。が、その分オムニバスでは味わえない濃厚なゲームを遊べる自信はあります。
*
なお、社会性や精神性を賭けて戦うことは、ほとんどの戦闘を“目的”から“手段”に下げることになります。戦闘によって敵を倒すだけが、目的達成の道ではないからです。
なので、戦闘をゲームの中核としているゲームでは、また別のアプローチが必要になるでしょう。
References
↩1 | [限られた手段] = ゲーム世界に影響を及ぼすことを考えるなら、PC を使うだけが手段ではありません。設定を増やすとか、データを作るとか、できることはいろいろあります。 |
---|---|
↩2 | [〈ロールプレイ〉を優先することを毛ぎらいするようになった人] = 当該人物が僕に「ゲームって何だよ」と突きつけてきた張本人です(笑 |
↩3 | [必然として受け入れられる] = 戦闘には常に危険がつきものであり、それに参加したと言うことはその覚悟を持ち合わせていたと考えるので。(嫌なら逃げればいい) |
↩4 | [失敗しても再起できるチャンスを作りやすい] = 失ったものを取り戻すためのゲームを行えばいいわけで。このゲームはほとんどの場合、気合の入ったいいゲームになります。 |
↩5 | [PL に作戦を立ててもらう手法] = 「シナリオ=一人で作るもの?」参照。 |
↩6 | [PL に求めるレベルもそれなりのものになります] = 第一に、作戦立案をする能力が求められます。第二に、ゲーム外時間にゲームのことを考えられる余裕が求められます。もっとも、第一条件については立案内容に併せてシナリオの難易度を調節すればいいだけのことですが。 |