二次創作は好きになれない

 昨日、ものすごく怒れる事があって、未だに心穏やかならぬ玄兎です。
 ちょっとクールダウンするために、全然関係ない話題を書きます。
 タイムリーだけど見事に手遅れという話題を。
 多くの人にとっては、どーでもいい話なんでしょうけども。

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 一次創作者と、二次創作者(同人)の遭遇の鳥坂氏には全く同意。
 ああいうモノを見ていると、なんだか情けない気分になる。
 妄想するのは仕方無いとしても、せめて心情くらい、分かって欲しいというか。

 


二次創作は、未だに好きになれない。
 キャラクターの説明責任を放棄して、単なる記号として扱うから。
 話のネタが何かの作品のパロディであっても、キャラクターに関してはオリジナルで通している場合は、まあ話の種として「あるかな」くらいには思うけど。

 キャラ立てをするってのは、大変な作業だ。
 僕はずっと昔、恩師である音響監督に「歩け」と教わった。
 キャラクターになったつもりで歩き、呼吸の深さから視線の高さ、興味の向くもの等などを感じて、一個の存在としてキャラクターを産みだす。そして限られた中でその断片を提示し、キャラクターを育てていく。
 手法には個人差があるものの、みんなそうしてキャラクターを産み出している。
(たぶん。記号化作業が進んだ現在では、記号化されたキャラクターをリサイクルしている場合も往々にしてあり、それでも総体としての特定キャラクターの記号を一度リセットして再構築しなければならないので、やっぱり説明責任は生じる。それすら投げ捨てている作り手もいるかもしれないが、そういうのは作り手とは呼びたくない)
 そうして苦労して産み出し、育てたキャラクターを記号化、属性化して「自由」の名のもとにメチャクチャな目に遭わされる。
 気分がいいはずが無い。

 他人がそれを作ることに関しては、もう諦めた。
 今でも腹は立つけど、そうとしか伝えられなかった非力も原因なのだと思う。
 そうした消費者を迎合している業界にも責任がある。
 ただ、それは(売れなければ生き残れない)経済活動としての業界総体の問題であって、作り手の多くはやっぱり苦々しく思ってることには違いない。
 ……と信じたい。

 妄想するのは自由だ。好きにすればいい。
 それを人に伝えるのも自由ではある。だからまあ、認めざるを得ない。
 ただ、それは大上段に掲げて声高に叫べることじゃない。
 言論の自由も、血を流して獲得したのは先人であって、僕等の世代じゃない。
 そういうことだけは、分かっていて欲しいと思う。

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 同人、という言葉があまりに広い範囲をカバーしすぎていて悩ましい。
 だからこそコミケは、あそこまで巨大になりえたわけだけど。
 オリジナル創作の同人誌、というのは「同人誌」なんだろうか?
 完全オリジナルの場合はもう「自費出版」って言ったほうがいいと思うんだけど、例えばISBNコードがついてなかったり、一般書店で扱ってなかったりすると、旧来の自費出版とは一線を画くわけで……結局、「同人誌」って認識が一般化してるので、仕方が無いんだろうなァ。
 二次創作のエロ同人誌と一緒にするのは、とても心外なんだけどなァ……