TRPGを紹介する時、よく「物語を作る遊び」ってフレーズが使われるんですが。
これがほとんどのトラブルの大元にあると思っています。
まずもって「物語」って言葉の定義、認識が厄介なんですよね。
「物語って何ですか?」って聞かれて、端的にきちんと説明できる人、います?
大抵が「〇〇みたいな~」と、具体例をいくつか提示して説明できた気になっている。
でもそれ、本当に伝わってます?
まあこの辺については遊ぶシステム、シナリオごとに、おそらく想定しているだろう「物語」の定義が違ってるので、遊ぶシステム単位、シナリオ単位での調整も必要になるわけですが。
セッションをセッティングする場合は、まずここからコンセンサスを取っていって欲しかったりします。
(古流のテクニックとしては、参加者一人一人に簡単な質問をしながら認識のズレを検知していくわけですが……属人芸なのでプレモダン以降の手順化とはちょっと相性が悪いんですよね)
僕個人の認識としてザックリまとめておくと、「物語」には主に
- ある出来事にまつわる前後関係の情報群
- ある出来事にまつわる前後関係を、一定の価値観によって再編集した大きな情報体
という二つの潮流があります。(この説明で伝わるとは思ってませんが)
TRPGという遊びの歴史の中では、かつては前者が、現在は後者が主流になっています。
(これは前者の時代にはゲームの主題が「物語を作る」ではなく「戦闘」「生存」「生活」だったから、という事情もありますが)
両者の違いとして大きなポイントは「価値観」の有無です。
前者はただ事実があるだけですが、後者ではそこに価値観が介入し、編集によって「群」を一個の「体」にまとめています。
デジタルゲームの語彙を用いれば前者はサンドボックス型、後者はストーリー型となるでしょうか。
そこから違っていたら、そりゃ遊び方が異なるのも当然ですよねって。
サンドボックス型でも例えば『Minecraft』『Terraria』『Kenshi』『RimWorld』『ARK』のように、それぞれゲームとしての楽しみ方、味わいは異なっています。
ストーリー型なんてもっと色々ありますよね。それぞれに異なる味わいがあり、様々な楽しみ方が有る。
それが時にバッティングする。
同じ一つのタイトルの中ですら様々な意見があるのに、タイトルどころかジャンルまで超えてしまったら、そら衝突しない方がおかしい。
あとまあ当然の、本当に当たり前の話なんですが。
クリエイター側からしたら「物語を作る」に至るプロセスで、様々な紆余曲折があることなんて常識以前の事実なわけです。
最初にプロットを作っているのに途中でもっと面白いものを思いついちゃったり。
描いていたキャラクターへの思い入れが強くなってエピソードを増やしたくなったり。
要らん一言を入れてしまったせいで話題がブレて話がまとまらなくなってしまったり。
地の文でたった二行で終わるシーンの細かい描写が気になって調べだして気がつけば一週間が経過していたり。
でもまあ当然、そんなんコンシューマは知らんわけです。
いやもちろん知らんで良いんですが。
彼らは最初から「美しい一筋の物語」があって、クリエイターはただキーボードを叩いて、あるいはペンタブをグリグリして、一直線に生み出していると思っている。
SNSで執筆の労をねぎらう言葉を投げかけてくれる人たちだって、九分九厘、具体的な苦労、没ネームの存在なんてこれっぽっちも想像しません。できません。
だからTRPGもそのイメージ通りに、テーブルに着いてセッションに参加していれば「美しい一筋の物語」が自然と出来上がっていくと思っている。
ただワチャワチャ楽しくおしゃべりしながら、格好つけたり斜に構えたり、それっぽいこと、やりたいこと、好きなキャラの真似とかゴッコ遊びをしていれば、自分が理想の物語の出演者になれる。
なんも知らん人の「物語を作る遊び」のイメージなんて、そんなもんです。
その過程にある紆余曲折なんて想像の埒外。
集団制作の大変さなんて、もっと分かりません。分かってもらえません。
そんな相手にただ「物語を作る遊び」なんて言ったってポカーンですよ。
だから彼らは、セッション中に参加者間で意見の齟齬が生じるなんて想像もしていません。
セッションに参加しながら自分が思い描いている「シナリオ=物語」の想像と、他の参加者のソレが違うだなんて思いません。
だから意見の衝突が起きた時、その人たちは「自分の何が間違っているのか」分かりません。
だって自分は自分の思い描いている「物語」に沿った、正しいプレイングをしている(と思っている)から。
もちろん、これはお互い様なんですが。
二者の間にある「物語」の像の違い。
最初に書きましたが、違って当然なんです。
当然なんだけどお互いに違っていることを認識していない。認識できない。
だから「攻撃された」と誤認する。
反発する。
自己防衛する。
他罰的な判断になる。
あるいは「自分のプレイングが美しい一筋の物語の中で正しいものかどうか自信がない」というケースもあります。
こちらの場合は自信がないから行動できない。
二の足を踏んでしまって、きちんとゲームに参加することも覚束ない。
どれもスタート地点にある「物語」のあやふやさ、「美しい一筋の物語」の認識のズレが原因じゃねーかと思うんですよね。
憧れで客を引くのは必要なことなんですが。
やるなら上手いこと調律しながら少しずつ順応できるように道筋が無いと。
(個人的に初心者さんと遊ぶ時は、まずリプレイと同じシナリオを同じように遊び、「参加者が変わることでどう変化するか?」から経験していってもらってました。まあ手間かかるし同じメンツで回数遊べないと無理な話なんでアレですが)
いやまあTRPGなんて所詮は趣味道楽の一つに過ぎないんで、合わなければ去って別のもっと良いものを探してもらった方がお互いのためではあるんですが。
とはいえ悪評を生み出したいわけでもないでしょう。
「まあ楽しかったけどなかなかね」くらいの、うっすらと好意的なものを残して別れたいものです。
巷ではシナリオがシステムに取って代わったような御時世のようだし(例えば「通過」の概念のように)、若隠居のアンテナが捉えられてないだけで、とっくに解決策が出ているのかもしれませんが。
(だとしたら界隈の「Xカード」をめぐるあれこれは何だったのかって話なんだよなー)