「ルールブックを所持せずセッションに参加して良いか否か」という話が Twitter で何度か話題になっていて、その都度 Twitter 上で「学級会」が開かれているようです。
簡単に追っかけてみたところ、案の定ちょっと話題がとっ散らかっているんですが、その辺を自分なりに整理して、ついでに自分のスタンスについても表明しておこうかと思います。
(ちなみに両論併記では有りません。気になったものだけを拾っています)
推敲足りない気もするけど面倒くさいんでポーイ。
ページの内容
ルールブックの所持に関する話題の整理
ルールブックの所持を問題とする話題には、大きく分けて以下の二つの要素が混在している。
- ルールブック非所持によるセッション参加への影響
- ルールブック非購入による (T)RPG 市場への影響
1. ルールブック非所持によるセッション参加への影響
これは正しくゲームシステムを運用する遊びのために、セッション参加中すぐにルールブックで確認できる状態を維持しておくべきではないか? という問題意識を基にしている。
これについては、まずオフラインセッションとオンラインセッションという、大きく異なる二つの環境について考える必要がある。
- オフラインセッションの場合
- オンラインセッションの場合
- オフラインセッションの場合
- 同じ物理空間に集まって遊ぶオフラインセッションの場合、その場にルールブックが有りさえすれば、誰の所持品であっても「一時的に借りる」ことで事足りる。最低一冊あれば、ひとまずルールブックの内容を確認することで、正しくゲームシステムを運用して遊ぶという目的を達成することは可能だ。
- オンラインセッションの場合
- 翻って、参加者一人一人が異なる物理空間からインターネットを介して遊ぶオンラインセッションの場合、(法律に抵触しない形で)ルールブックという物品を貸し借りすることは出来ない。であるなら、参加者一人一人がルールブックを所持していなければ、ルールブックの内容を確認して正しくゲームシステムを運用する遊びを維持できない。
2. ルールブック非購入による (T)RPG 市場への影響
(T)RPG 市場は現在、収益のほとんどをルールブックの売上に依存しているらしい。この現状においてルールブックを購入しないユーザが増えることは、ルールブックを制作している企業/ゲームデザイナーの活動に害となり、ひいてはエンドユーザも不利益を被るのではないか? という問題意識である。
この問題意識そのものについては、これといった異論はない。ただしこれについてもいくつかの論点がある。
- 初体験者も購入しなければならないのか
- 該当ゲームをどの程度遊ぶユーザが購入すべきか
- どういったユーザが免責されるのか
- 入手難度をどの程度考慮するか
- 「買い支え」という言葉
- 「敬意」「感謝」という言葉
- 初体験者も購入しなければならないのか
- これについては多くの論者が「購入しなくても良い」としている。未経験者がお試しで遊んでみるセッションは「体験卓」と呼ばれるらしいが、そこで未所持を責める流れはほぼ無いと考えて良さそうだ。
- 該当ゲームをどの程度遊ぶ人間が購入すべきか
- ではどの程度遊ぶユーザが購入すべきか。二度目から必須なのか、三度目からか、四度目、五度目からか。これについての明確な指針は見られない。「よく遊ぶなら」「何度も遊ぶなら」といった漠然とした基準が示されているに過ぎない。
- どういったユーザが免責されるのか
- これについては各論ある。経済的、家庭的理由から購入が難しいユーザに対して「仕方ない」と許容する声もあれば「購入できないなら遊ぶべきではない」と否定的な声もある(一応、後者については「購入可能なものや無料のルールで遊べば良い」とフォローされることが多いようだ)。えてして購入を強く推奨する論者ほど、否定的な論になりやすいように見える。
- 入手難度をどの程度考慮するか
- (T)RPG のルールブックやサプリメントは、絶版(版元在庫なし+重版未定)になりやすい。「だから買おう」という話にもなりやすいのだが、実際に既に絶版となり、中古市場でプレミア価格がついてしまっているようなルールブック/サプリメントについても購入しなければならないのか。そもそも流通しているものは中古品であるため、デザイナーの利益にはならない。こうしたものについての有力な言説は見られなかった。
- 「買い支え」という言葉
- 「買い支え」とは商品を購入することで市場を支え、ひいてはデザイナーを支える行為をさす言葉らしい。この言葉によってルールブックの購入を推奨する場合、ルールブックの購入はエンドユーザにとっての必要ではなく、市場にとっての必要ということになるのだろうか。
- 「敬意」「感謝」という言葉
- ルールブックの購入をデザイナーに対する「敬意」や「感謝」の表明とする言説もみられた。こちらは非購入者に対して「敬意が/感謝がない」といった批判的な意図で用いられているように見られた。
私見
私見・ルールブック非所持によるセッション参加への影響
僕は現在、オフラインセッションでしか遊んでいない。そのためルールブックの所持については一人一冊必携とは考えていない。
ただし「オンラインセッションを遊ぼう」となった場合、やはり参加者には各自必携をお願いしたいと思う。ぶっちゃけ体力が落ちて昔のように長時間のオンセには耐えられないと思うので、極力省力化を図るためにルールの確認などは各自に任せたい。(昔はクロスチェックとかしてた)
また同じタイトルで何度も遊ぶ場合、マンネリ化を遠ざけるためにルールブックの存在は心強いものだ。ルールブックには多様な遊びにトライするための様々なフックが載っている。そうしたフックを見つけ、新しいゲームプランを展望するためにも、何度も遊ぶユーザにはルールブックの入手をオススメしている。
ただしこれは (T)RPG 市場に寄与するためではなく、あくまでゲームセッションをより楽しむことを目的としている。そのため「非購入」ではなく「非所持」の話題に分類した。
私見・ ルールブック非購入による (T)RPG 市場への影響
「べき」論としては確かにその通りであろうが、万人に適用できるものかどうかには疑問が残る。また諸事情から免責されたとしても「べき」論が振りかざされれば当人にはストレスになりやすく、引け目を感じながら遊ぶゲームが健全なものになるとは考えにくい。
また「買い支え」「敬意」「感謝」などの言葉については、ぶっちゃけ叩きやすい方を叩いてるように見えて仕方がない。そこまでの貢献が必要と思うなら他人の財布に手を突っ込もうとするより、ご自分で何十冊でも何百冊でも買って希望者に配るなりした方がよっぽど良いのではと思ってしまう。
この点については、僕自身がすでに既存のゲームシステムである程度満足しており、新作への期待感が薄い=投資に対する必要性をあまり感じていないという内情もあるので、新作に期待されている方々とは意見を異にするのも仕方ないかなと思う。
ただ、それをさておいても元々ルールブック自体が趣味/道楽の品であって、その売上については「商品としての価値そのもの」や「収益化の手段」についても、もっと言及/検討すべきではないだろうか。
「市場規模が小さいんで開発コストが……」という話も分かるけど、そのしわ寄せを全部エンドユーザに丸投げされてもなぁ……という気分にもなるので。(これについてはゲームデザイナー以外の人間が欲しいところ。クリエイター一尊な気風が仇になってる感)
以下、素人考え
漫画アプリみたいにルールブックの電子書籍 1日レンタルみたいなサービスでもありゃあいいのに、と思ったり。「開発コストの問題がー」とかについてはそれこそ有志主導の OSS で下地作ってーとか、何かしら手段有るんじゃないかしら。エンドユーザ内に技術者いっぱいいるって話だし。
1日あたり希望小売価格の 10% くらいでスクショ不可、検索機能に優れたアプリとかあれば気兼ねなく使えそうなのだけど。「初回の準備とセッションで 2日分必要だから、5〜9回以上遊ぶならルールブック買ったほうが得だよー」って感じで(笑)
余談:SNS学級会
この「学級会」ってのも言い得て妙で。
百家争鳴して何も産まず、各人が飽きるまで騒いで面倒くさくなったら放置するという、実にナンダカナー感の溢れるムーヴなんですが。
そもそも (T)RPG って共通の話題にできることが少なくて、SNS ではちょっと盛り上がりに欠ける部分があったりするわけで。
(だから逆に SNS にアクセスできるなら同様にほぼ誰でもアクセスできる媒体──たとえば動画サイトや漫画アプリなど──で面白いコンテンツが出てくれば、あれやこれやと話題になったりもするわけですが)
故にこそ答えの出ない学級会という方式は、テキトーに話題を共有して趣味を同じくする他者の実在を実感し、自分の正しさと存在を再確認するのに実に都合がいい場だったりするんですが。いかんせん「正義」主張の場というのは往々にしてスラングとしての「総括」へと向かいやすいので、外から見てるとちょっと怖いんですよね。
そんなんでまあ、ここに書いて自分はオシマイにしておこうと思った次第です。