久しぶりに朝から晩までアナログゲーム漬けの日。
ほぼ (T)RPG の日でした。
いや (T)RPG の皮かぶったボドゲとかもあったけど。
いーかげん『OFFRP』ログブック新版を仕上げねば。
……とか思いつつ、まとまりのない思考ダダ流し。
長く遊びたいよねえ
アナログゲームの強みというより「買い切りゲームの強み」なんだけども。
そのゲームを遊ぶためのコンポーネントを一度入手してしまえば、後は遊ぶ環境がある限りナンボでも遊べるという強みがあって。
まあゲームも遊び続ければマンネリ化の弊害が発生したり、刺激が少なくなって飽きが来たり、より新しく洗練されたゲームに価値を減じられたりってこともあるわけで、実際には無限に遊び続けられるものとも言い切れんのだけど。それでもまあ気付けば何年も何十年も昔に買ったコンポーネントで丸一日、楽しく遊ぶことが出来ちゃったりするわけです。
こういう「あとは遊びの環境さえあれば遊べる」っていうコンポーネントの威力は、ほんと凄いよなーと思うのですよね。
コンポーネントって
コンポーネント。まあボードゲームのイメージだと、ゲームボードにトークンにカードにマニュアルに……とか沢山あるから「(T)RPG はコンポーネントなんて無いじゃん」と思うかもだけど、 (T)RPG の場合はルールブックやサイコロが相当します。
要は必需品ってことで。
まあでもアナログゲーム自体は極論するとアイディアの塊なわけで、それが必需品なのか? というのはちょっと考えるトコロ。実際に対価を支払うのは「商品」に対してではなく「サービス」に対してではないか? と思ったりもするのだけども。
例えばゲームのルール構造やゲームが楽しくなるデータ、それから読みやすい実用的なテキストに対して。
あるいはゲームを遊ぶ上で極めて有用であるコンポーネントのパッケージに対して。とか。
で、それらは全部、遊ぶための環境維持資源だよなーと。
だからまあ、もちろん金がなくても自作すれば済むこともあるし、ありあわせの代用品で済ませることもある。でもそれでは要求レベルを満たせないことも少なくない。綺麗なゲームボードやトークン。読み替えや参照の手間のかからないカード。何よりイカサマの余地のないコンポーネント。それらはゲームのモチベーションを向上させるためにも有用だし。
そんな時に、金払うだけでそれらが手に入るってのは、やっぱ大事だよねーとか。
そういう意味でマーケットなくなると困りますよん、とかね。
当然それだけじゃ無理なんだけど
とはいえ当然それだけでは限界もあって。
限界っていうか、範囲が限られるって言ったほうがいいかな?
例えばまあ、「公式が運営しているゲーム大会」と「友達と気楽に遊ぶゲーム」とでは、ゲームの内容も楽しみの内容も全然変わってくるわけですよ。
(T)RPG だと「ネットやコンベで偶発的に集まったメンバーで遊ぶセッション」と「友人宅に集まって遊ぶセッション」との違いとか。
メンツの組み合わせだけでも違うし。
その時々の環境次第で、経験に沿って自動的に最適化しているものもあって。
どっちの楽しみが正しい、間違ってる、本道だの邪道だのじゃないんですね。どっちもそれぞれの楽しさが有って、その時々で欲しい楽しみに合わせて選べばいいだけの話で。
なんでまあ大事なのは「選べる」ということ。
選ぶためには選べるだけの選択肢が、その場にないといけない。
その選択肢になる環境は、維持・生成のコストが必要で。
長く遊ぼうと思ったら、どうしてもそのへんのことを考えないとイカンよねー
さよならフリーライダー。
……とか思った日でもありました。マル