[memo] 今の技術?

「今の技術で『クトゥルフ神話TRPG』をリメイクすると、どうなるんだろう?」

 ……という話をちょろっと Twitter でやってたんですが。
 まあそもそも「今の技術」というのが何なのか? と言うところからですな。
 一応コレは「今(2012年)の日本産TRPGにおいて主流となっているデザイン技術」くらいのニュアンスです。

 かつてのBRP版CoCの基幹デザインが行われた当時と、2012年の現在とでは、そのシステムデザインの技術ひとつとっても随分と違いがあるだろう……というイメージを前提にした話なんですが、現実的に「何がどのように違うのか?」ということを考えると、けっこう面倒な話になるんですよねコレ。

 ということで、今回は「今の技術に至るまで」の流れについて、僕なりの認識をちょろっと。

 間違いはきっとある。
 でもそれはもういいや。
 細かいことは気にしない(笑)

 あ、そうそう。
 CoCの話はありませんので。悪しからず。

「今のシステムデザイン技法」

 まあそのナンだ、前世紀型のシステムが好きな人間としては、線形モデルに沿って明確な優劣をイメージさせる「進化」という表現には、少なからず抵抗もあるのですが(笑)。だからといって否定しているわけでもなく、旧来とても雑な遊びだった部分について整理・統合が進んで洗練されているとは思うのですよ。
 要諦になっているのは、属人的なマスタリング技術の振幅を抑える方向性。
 そしてそれに注視するプロセスで関係しそうなのが、トレーディング・カードゲームの隆盛。

あれはやはり黒船だったのだと思う

 TCG。
 トレカ。
 冬の時代以前から遊んでる人の中には、かつて黒船『マジック・ザ・ギャザリング』にゲームの場を奪われて忸怩たる思いをした人もいたと思うんですが。
 『RPGマガジン』の背綴じ化から休刊までの流れとか思い出してみたり(笑)
 ただまあ今に至るデザイン技術の進歩は、多分にギャザを経たことが活きてるとも思うわけで。

 つまり「なんでTRPGではカジュアルですらトラブるのに、TCGでは野良デュエルでもトラブらないんだ?」という疑問。

 何ででしょう?
 という問に「厳格なルール」と考え、それを進めた先に、今の解があるんだろうなと。

 別にカードゲームに限った話ではなくて、ボードゲーム全般に言えることだけど、ルールのしっかりしたものは基本的にはゲーム中のトラブルって極端に少ないんですよね。
 ただまあ逆に、だからこそゲームそのもののデザインが面白くなければ見向きもしてもらえなくなるんだけど。

前世紀の流れ

 ボードゲームの厳格さ、シリアスな評価を許容する(せざるをえない)デザイン思想と比べると、TRPGってその辺ちょっとズルいんですよね。なにしろルールデザイン権の一部をゲームシナリオやセッション(ゲームプレイの場)に譲渡しちゃっている。その結果、「面白くなかったのはシナリオ/セッションのせいだ」と言っちゃうことが出来た。

 まあでもソレは必要なことだったとも思っていて。つまりそのズルさ、デザインの緩さ――あそび――の部分でゲームのデザインを洗練させる時間を稼いでたと思うんですね。その間にゲームマスターやプレイヤーたちのゲームデザイナーとしての能力を鍛えて、より優れた遊びを模索する。だいたい1980年代のゲームシーンは、そういう環境だったと思います。
 ちょっと乱暴なことを言えば、当時のゲームシステムってのはα版くらいのものだった、ということになるのかもしれません。(そのこととゲーム体験の面白さとは、実はあまり関係がなかったりもするわけですが)

手探りから経験則へ

 そうして譲渡されたデザイン権を有効に活用するため、最初はほんとに無人の荒野をゆくが如く、手探りで「なんでもやってみようぜ」だったと聞きます。そんな中でゲーム雑誌が刊行されるようになり、80年代にはタクテクス*1[タクテクス] = 1981年創刊。、シミュレイター*2[シミュレイター] = 1982年創刊。、ゲームグラフィックス*3[ゲームグラフィックス] = 1986年創刊。、ウォーロック*4[ウォーロック] = 1986年創刊。、コンプティーク*5[コンプティーク] = 1983年創刊。ただしTRPGの取り扱いは「D&D誌上ライブ」としてロードス島戦記のリプレイ連載が始まった1986年から。、ドラゴンマガジン*6[ドラゴンマガジン] = 1988年創刊。、また90年代に入って更にコンプRPG*7[コンプRPG] = 1991年創刊。、RPGマガジン*8[RPGマガジン] = 1992年創刊。、ログアウト*9[ログアウト] = 1992年創刊。、RPGドラゴン*10[RPGドラゴン] = 1995年創刊。、ゲームクエスト*11[ゲームクエスト] = 1996年創刊。……色んな雑誌で色んな形のTRPGの断片、先人らの「どうもこうやって遊ぶと面白くなるらしい」という話を目にするようになっていって。
 そんな流れで90年代になると、僕らはまず先人の経験則によって書かれた雑誌、それからハウツー本を手にとった。これを読んで腕を磨いた……まあ実際に磨けたかどうかはわからないので「磨こうとした」ということにしときますか。

要素「異世界デザイン」の追加

 黎明期はまだTRPGってもタイトルそのものが少なかったし、国内では『ドラゴンクエスト』以降の「RPG=剣と魔法のファンタジー」って認識が強かったんで、TRPGといっても「剣と魔法のファンタジー」が相当多かったんですね。後に国産ファンタジー『ロードス島戦記』が出て、グループSNEが『ソード・ワールドRPG』への誘導を促して、これがバッチリ決まったところで確定した。
 そうすると、TRPGを遊ぶためには「ゲームシステム」だけでなく「異世界デザイン」が必要になってきたわけですね。でもまあここは日本なので、ヨーロピアン・ファンタジーとか言われても「そもそもヨーロッパの歴史や文化なんて知らねーよ」ということになり、それについても勉強する必要が出てきた……と。
 もっとも、それ以前から『ルーンクエスト』のような濃厚な設定世界に支えられたファンタジーや、『トラベラー』のように遊ぶためにまず設定世界を記述出来るだけの教養を求めるようなSFが有ったわけで、その辺を遊んでた人にとっては「なにを今さら」って話でしょうけど。

 とにかくゲーマーには「異世界デザイン」と「ゲームデザイン」の二本立てが求められるようになるんですが、商品としてのゲームシステムは、そこのサポートが薄かったんですね。だからハウツー本で穴埋めを必要とした。
 ぶっちゃけコレ、相当な負担です。

ハウツー本の限界

 ……ということで、ハウツー本にも色々と限界が来る、というか多岐に渡り過ぎてもう何が何やらわからなくなる。そもそもこの頃になってくると、いーかげん「異世界」のジャンルも増えに増えて、初期のように「剣と魔法のファンタジーやっときゃ大丈夫でしょ」っていうのではもう、足りなくなっちゃってたりするのです。
 なにしろ増えていったゲームシステムのそれぞれが、提案する「TRPGの遊び方/楽しみ方」についてちょっとずつ違っていたりするんだから。

 ひたすら戦闘の面白さを追求するのか? ダンジョンハックのスリルを堪能するのか? キャラの成長を楽しむのか? ゲーム世界での生活を楽しむのか? 原作を再現することを目指すのか? パロディに声を上げて大笑いするのか? エトセトラエトセトラ……。色々あげられる「楽しみ」の要素って、クリエイター自身が楽しいと感じた経験が大きく反映されてるんでしょうね。自分が知って自覚してる楽しみだからこそ、「どうすれば、それがより際立つか?」っていう事を考えられるんだろうなと。

 閑話休題。

 とにかく色んな遊び、色んな楽しみが提案されるようになって、それぞれの楽しみ方にファンがつきました。もう「TRPGってのはこういう風に楽しむモンです」と一概に言えるもんではなくなっちゃった時に、「こうすれば楽しいよ」と具体的な話がしづらくなっちゃったわけですな。抽象論に落としこんでいくしかなくなっちゃったわけだけど、そうするとまあ差別化が難しくなって、だから数を出せなくなっていった。目新しいものが出なくなれば忘れられていくのが情報社会というもので、そうしてたくさんあったハウツー本もどんどん絶版となって消えて行きました。

ハウツー本といえば……

 そうそう。ハウツー本といえば、外せないものが二つ有って。

 ひとつは『ファンタジーRPGクイズ』(いわゆる「五竜亭」)のシリーズと、それから『クロちゃんのRPG千夜一夜』の金字塔。新人さんが古参の人間にこの辺の名前を挙げれば、大抵喜んじゃうんじゃないかしらという、まあアイドルとかシンボルとかそういうレベルの作品じゃないかと(笑)
 「ある情報コンテンツがあるジャンルの文化に与えた影響」なんてのは、これだけ情報コンテンツにあふれた現代ではハッキリ断定できるモンではないんですが、この二作品が無かったら実際どーなってただろう? というのはわりとよく考えるコトだったりします。TRPGにおいて「キャラを立てる」とか「面白いことを言う」とかって概念の普及に、いったいどれだけ影響を与えたのか? と。

 もうひとつが『D&Dがよくわかる本』の存在と、こいつを起点とした「○○がよくわかる本」シリーズ。こちらはもうちょっと今のハウツー本の流れにざっくり絡んでいて、たぶんコレが「汎用ハウツー本」から「ゲームシステムごとの入門書」へと分化してく、そのターニングポイントなんだろうなーという。それがグループSNEの『ソード・ワールドRPGリプレイ集』や『バトルテック』のリプレイに見られる「入門書としてのリプレイ」へと流れていく。

かくしてリプレイ本が躍り出た

 ……といった流れでハウツーはリプレイの側にシフトするようになったわけです。
 シフトしたといってもハウツー本そのものが出なくなったわけではなく、1995年には『ゲームマスター大全』という、システムに依存しない汎用ガイドの大著が出ていますし、雑誌のほうでも、当時のRPGマガジンの特集記事などは「ジャンル別の汎用ガイド」といった傾向が強かったと思います。

 ただ全体としては「汎用ガイド」の方向へ進んだハウツー本ではなく、あくまで「実際にどう遊んでいるのか」と「その時どういうことに注意しているのか」といった実践例が多分に含まれるリプレイの方へとシェアがシフトしていってたよなと。これは「○○がよくわかる本」シリーズや『実戦!RPGゲームマスター道』の流れだろうなと。

 キャラクターデータの公開と、リプレイ内でのプレイングの検証、「自分ならどうするだろうか?」といったゲーム展開のシミュレーション、なんてことが自然に行われるようになっていって、しかもそれが一部ゲーム誌の誌面で行われたりするようになると、もう後には戻れない。

要素「物語デザイン」の追加

 更にそこに角川のマルチメディア戦略が絡んで、「ノベライズ」や「リプレイ」といった「おはなし/物語」としての性質が強くなってくると、今まで「ゲームデザイン」「異世界デザイン」の二つだった基本要素の中に、「物語デザイン」の要求まで入ってくるようになってきて。

 これに強い影響があったと考えるのは、やっぱり「ソード・ワールドRPGノベル」のシリーズ。なんといっても「巻末に登場人物のゲームデータが載っている」というのが大きかったんじゃないかと思います。ここで「小説」と「ゲーム」が密接にリンクして、読者の中で「小説の出来事をゲームシステムに置き換える」といった作業が行われたり、逆に「ゲームプレイを小説のように捉える」といった認識の書き換えがそれなりの規模で普及するようになったんじゃないかと。
 更には漫画化、アニメ化される作品なんかも出てきて、この「TRPGで物語デザインを遊ぶ」傾向はより強化されていったように思います。

 アマチュアゲーマーに「異世界」「ゲーム」「物語」の三要件を満たせとな?
 そんなご無体な(笑)

今世紀の取り組み(90年代にハッキリ解決されなかった命題)

 ……と、大体こんなモンだったと思うんですよ。前世紀の「商業サイドからのTRPG技術教育の流れ」って。
 「物語デザイン」介入のタイミングについては諸説あると思うし、学習要項のメタボ化シンボルとしてこんな整理にしたけど、時系列的にはもっと早かったという認識もあります。別の視点から考えると、たぶん玉石混交のままゲームシステムを濫発していた1991~1993年が布石となって、ユーザの「より深く面白く楽しめるゲームは?」という審美眼が磨かれた(あるいは厳しくなった)結果として、「物語デザイン」の要素があるもの、強いものが求められるようになった……といった風にも解釈できますし。

 まあでもそういった事情は、実は結構どーでもいいんですね。
 こうした前世紀のアプローチは、結局のところ「要素を満たせ」っていうオーダーへの解決としては、弱かったんだと思います。
 弱かったというより、欠陥があったというべきか。

ハウツー展開の欠陥

 これらハウツー本を経由するトレーニングの流れって、基本的に「ルールシステムから切り離されていた」んですよね。これは幾つもの理由があって、またゲームシステム史的な展開からも、まあ必然みたいなものではあったんで、安易に糾弾できる手合いのものではなかったんだけど。
 ではあるんだけど、だからこそ例えば「リプレイを読んでいない」とか「雑誌を読んでいない」とかいった事が当たり前にあって、それによって情報格差が生じちゃったんですよね。この情報格差を是正する解法として、当時は二つのアプローチがありました。ひとつは「読んでない人に合わせる」で、もうひとつが「読んでない人に読むことを勧める」というもの。

 「読んでない人に合わせる」というのは、今で言う「レギュレーション」の概念。使用するルールシステムを限定することで、情報格差を無かったことにするという荒業で、ただしこちらは「あのルール/データが使えればなー」という不満に対するケアができません。

 対する「読んでない人に読むことを勧める」というのは、まあこれ、負担なんですよね。しかも趣味に合わないモノでも読まなきゃいけないケースがある。TRPGというのは趣味活動で、まあその「趣味」というものに掛けるウェイトは人それぞれなんですが、その中でも「楽しいとこだけ摘みたい」という大多数のユーザに対して「いいから読め」と押し付けるのは、悪手でしょう。

だからルールブックに最初から記載しよう

 ここらで冒頭に書いた、TCGの影響が絡んでくるわけです。
 「なんでTCGではトラブルが起こらないの?」という。
 まあ全く起こらなかったわけでは無いと思うんですね。TCGにしても、最初はルールテキストに解釈の余地が残っちゃってたり、混乱を招くような文章だったりすることがあって、それについてアレコレ検討しながらブラッシュアップを進めていったわけですし。
 でもルールがしっかりしているなら、そのルールの範囲内でガッツリ楽しくゲームを遊ぶことが出来る、ということは認識されたんだと思います。
 「要はルールブックなのだ」と。

 だからルールブックに最初から記載しよう……という流れになるのは道理だと思うんですね。
 レギュレーション型のアプローチは、サプリメント展開によるサポートを支える柱として整備を進めると同時に、「いいから読め」と言う必要のあること――「基礎技術」として知っておくべき事柄――についてはルールブックに記載する。そういう解を選んだんだろうと。
 さすがに遊ぶ上で「ルールブック読んでない」というのはちょっとアレなので(苦笑)

 ただこれ、少なくとも「物語デザイン」と「ゲームデザイン」の両立を果たす必要があるため、「シナリオの作り方」という部分に言及する必要が出てきます。またそれについての汎用性と具体性をある程度以上の水準で両立させる必要があり、それを推奨するゲームシステムを構築する必要があるため、ゲームシステムデザインそのものがシナリオデザインと強固に連動することが求められるようになったと考えます。
 結果として「さまざまな楽しみ方」を一部制限するか、またはそうなる可能性が生じることとなり、古参の中から「窮屈だ」という批判を受けるようになります。(ぶっちゃけ僕も窮屈だと思ってます)

 そんなわけで、「トラブルを予防するゲームシステムとは?」と「窮屈さを感じさせないゲームシステムとは?」という二つの課題を自らに課して、ソレに対するその時点での回答を出し続けているのが、現在の商業システムなのかなー……というのが僕の認識です。

で、結局『クトゥルフ神話TRPG』をリメイクするとどうなるって?

 ……それはまた気が向いた時にでも(笑)

References

References
1 [タクテクス] = 1981年創刊。
2 [シミュレイター] = 1982年創刊。
3 [ゲームグラフィックス] = 1986年創刊。
4 [ウォーロック] = 1986年創刊。
5 [コンプティーク] = 1983年創刊。ただしTRPGの取り扱いは「D&D誌上ライブ」としてロードス島戦記のリプレイ連載が始まった1986年から。
6 [ドラゴンマガジン] = 1988年創刊。
7 [コンプRPG] = 1991年創刊。
8 [RPGマガジン] = 1992年創刊。
9 [ログアウト] = 1992年創刊。
10 [RPGドラゴン] = 1995年創刊。
11 [ゲームクエスト] = 1996年創刊。

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