[biz][note] 相互理解の原点(良い会議に倣う)

 RPG 部の方で『〈対話〉から見たTRPG』ってのを不定期に書いてるんですが。
 で、まあこれはその原点になったレポートです。
 直接的に TRPG の話ではないんで、こっちにアップしときます。
 21のときのだから、かれこれ10年も前のモンなんですが、思考の出発点として、あるいは現在の僕の立脚点、その表明として。

良い会議、悪い会議

 仕事でも学校でも、会議ってやつは社会活動の中に付きまといます。
 なんだか知らんのですが日本人ってのは会議好きでして、大した用でもないのに会議をしたがる上司ってのがいたりします。いくつか理由はあると思いますが、本質的には……たぶん寂しいんでしょう(笑)

 でも実際に会議に参加してみると、それは善し悪しだったりするわけです。
 悪い会議ってのが、結構多いんですよね。
 無駄な会議というか。会議じゃないというか。

良い会議、悪い会議

 「良い会議」って何だろう?
 ……というアンケートを行いました。
 (アンケート用紙は以下のような体裁でした)

アンケート:いい会議をするため

 あなたが考える「いい会議」とは、どんな会議かお答え下さい。
 カテゴリーについては、分かる範囲で○をつけてください。
 (分からなければ無印で構いません)

いい会議の条件 カテゴリー
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論

 同じように、「悪い会議」とは、どんな会議でしょうか?

悪い会議の条件 カテゴリー
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論
  準備・時間・発言
進行・結論

 このとき会議の規模については特に書いていませんでしたが、同チームは10人強の小グループだったので、同程度のスケールの会議を念頭に置いて回答されたものと仮定しています。
 (カテゴリーは回答のきっかけにしてもらうためのもの)

 アンケート結果をまとめたものが、以下になります。

良い会議の条件は?:準備
  • 準備期間が十分。
  • 資料がまとめられている。
良い会議の条件は?:時間
  • ちゃんと始まってちゃんと終わる。
  • 開始/終了の時間がズレ込まない。
良い会議の条件は?:発言
  • 発言しやすい。
  • 意見が多い。
  • 感情的にならない。
  • 意見を押し付けられない。
  • 意見が尊重される。
良い会議の条件は?:進行
  • 議題が絞り込まれている。
  • 進行役が上手い。
  • 進行役がしゃべり過ぎない。
  • 進行役が決め付けない。
良い会議の条件は?:結論
  • 納得できる結論を出せる。
良い会議の条件は?:無印
  • 出席者が全員ちゃんと参加できる。
  • 充実している。
  • 自分が参加してる意味がある。
  • 眠くならない。
  • 休憩がある。
悪い会議の条件は?:準備
  • 準備期間が無いか、足りない。
悪い会議の条件は?:時間
  • ダラダラとやって時間の無駄。
  • 開始時間が遅れる。
  • 遅刻者が多い。
  • よく遅刻する人がいる。
悪い会議の条件は?:発言
  • 限られた数人だけで話している。
  • 意見が出ない。
  • 同じような発言ばかりで進まない。
  • 反対意見ばかりで不毛。
  • 発言中に割り込みが多い。
  • 他人の意見を勝手に解釈して決め付ける。
  • 感情的な発言ばかりが飛び交う。
  • 発言しづらい。
  • 発言が取り上げられないか無視、軽視される。
  • 発言が聞き取りづらい。
悪い会議の条件は?:進行
  • 進行役の独演会になっている。
  • 進行役が参加者を見てない。
悪い会議の条件は?:結論
  • 最初から結論が決まっている。
悪い会議の条件は?:無印
  • 自分が参加している意味が感じられない。
  • 眠たい会議。

 重複した意見はなるべくまとめています。

 このアンケートの結果を見て、その後、「会議のルールを作る会議」を開きました。
 その結果、できたルールが

会議のルール:準備
  • 議題について周知し、準備期間を設ける。
  • 会議に必要そうな資料は予めコピーしておく。
会議のルール:時間
  • 決められた時間に開始する。遅刻者を待たない。
  • 決められた時間に終了する。必要なら次回の議題と日程を決める。
会議のルール:発言
  • 発言者は権利と責任を自覚する。
  • 反論は常に発言に対して行う。発言者に対して行わない。
  • 全体に対する意見を発言する。個人に対する意見は控える。
  • 多くの視点を得るために、多角的に考え、発言する。
  • 発言の際は議題、意見、理由をはっきりさせる。
  • 意見に対する質問には明確に答える。質問に質問を返さない。
  • 意見があるときは必ず言葉にする。無言の表明は認めない。
会議のルール:進行
  • 議題はなるべく一つずつ処理する。
  • 最初に会議のおおまかな時間配分を決めておく。
  • 最高権者、決定権者は司会進行をしない。
  • 司会はなるべく発言を控える。
会議のルール:決定
  • 最初から結論が決まっている会議はしない。(告知で十分)
  • 決定ははっきり明確に。決定について確認を取る。
  • 決定されたことは期限を決めて実行する。
会議のルール:本ルールの運用
  • 以上のルールは必要に応じて修正される。その際は周知する。
  • ルール違反に対しては指摘し、改善を求める。

 以上です。

参加者が尊重される会議を

 会議の条件のうち、ルールに明記されなかったものがいくつかあります。
 無印だった回答、特に「充実感」や「参加している意味」という点に関するものです。
 これは主観的なものなので、たとえば「充実した会議にする」といったルールを作ったとしても、一体なにを充実させればいいのか分からないのでは意味がありません。これらは総合的な目的とし、ルールの土台として、また明文化されたルールを収束するために設定するべきだろうと考えました。

 そのため、まずこの総合目的に近いものを、他のカテゴリーの条件から探していると、「意見が尊重される」という項目に目がいきました。これも充実感と同じで、やはり「どう尊重されたいのか?」というのが分かりにくいわけですが、充実感を得るプロセスに必要なものだろうと思われます。
 そこで同じ「発言」カテゴリーの中で、それに関連しそうな逆説的なものを探してみると、今度は「感情的な発言ばかりが飛び交う」というものが気になり、ここで「充実した会議⇔意見が尊重される会議⇔感情的な発言の無い会議=理性的な会議」という仮説を立ててみました。

 この仮説をオフの会合などで披瀝したところ、おおむね同意を得られたので、この方向で進めることにし、それを成立させる方策を考えたわけです。
 このとき考えたことは、「どうすれば感情的な対立を回避できるか」と「なぜ人は感情的になるのか」ということでした。

感情的対立の回避

 感情的な発言ばかりが飛び交う会議。

 そうした会議になるとき、感情的な発言を繰り返す人たちは大体、個人攻撃に終始しています。ちょっと老獪になると発言内容への反論を皮肉交じりに行い、元の発言者の冷静な判断力を奪おうとする――それによって決定権者に悪印象を与えようとする――人までいます。
 それはディベートの手段としてはアリかもしれませんし、自分も状況に応じてそうした手法を使わないワケでもないんですが*1自慢できることじゃないけどね 、大多数が充実感を得られるものにはなりえない、というのは実感としてありますし、実際、そうした会議はヒアリングしている参加者をうんざりさせる、という意見も多く聞きました。
 ですから基本的には禁じ手だろうと考えます。

 実際、良い会議の条件としても「感情的にならない」というものが挙げられていることを考えると、感情的な――おそらく“理性的ではない”――発言は、参加者に徒労感を与えたり、少なくとも充実した会議だったとは思えなくしてしまうネガティブなモノなのだろうと考えられます。

 それを避けるためには、発言は、議題と意見に対してのみ行うべきだろう、ということです。
(これは意見の中に、ある立場の人間の心情分析が含まれることを否定するわけではありません。「そう考える人間もいる」という分析であれば、それは立派な意見といえます)

心の機能からの理解

 人が理性的な状態から感情的な状態へとシフトする。
 その多くは、心の防衛本能が機能したときに起こります。

 これは主に“社会環境における自分の影響力の危機”に対して反応し、活動を始めます。影響力の危機とは、言い換えるなら活動力の低下。
 つまるところが生命の危機です。

 社会環境における影響力または活動力の低下とは、簡単に言えば「社会の中で軽視/無視される」ということです。
 軽視され、無視されることは、社会において不要な存在であると判断されたことの証明であり、それはつまり存在意義の喪失、もっと端的に言えば「共同体の中で食料を得られなくなる」ということになります。
 そうしたとき、潜在的なエネルギーを爆発させて影響力の回復を図り、活動原理は理性から非理性――いわゆる“感情”――へとシフトします。*2[防衛本能としての非理性] = これは原始社会における力(=暴力)の原理であって、現代社会においては効果が薄れているもの。だが生物としての人間はそれに対応した機能変化を獲得していない。どうにも功罪入り混じる話で、これが良いのか悪いのかの判断は状況次第としか言いようがない。だが、もしこの機能変化を獲得してしまったら、人間は緊急事態への対応能力を失い、ごく簡単なことで絶滅しかねない気もする。

 繰り返しになりますが、人が感情的になる原因のひとつとして「社会の中で軽視/無視される」ことが挙げられます。ならば逆に、社会の中で尊重されている間は、その人が感情的になる要因をひとつは減らすことが出来る、とも考えられるわけです。

役割分担 ~ 立場の認識と尊重

 このときに考えたのは、役割分担をする、ということでした。

 この社会にはさまざまな立場の人間がいて、どんな人間でも何らかの背景――バックボーン――を持っています。ですから出席者は自覚、無自覚に関わらず、それぞれの背景の代表としての役割を持って会議に参加している、と考えることができます。
 この場合、出席者、発言者のバックボーンにあるものに対して敬意を払う必要が生まれます。ベテランの、ルーキーの、ラインの、テクノの、男性の、女性の、その他にも人にはさまざまな属性があり、それぞれの属性にはそれぞれの立脚点と視野があります。それは多角的な視点を生む基点になりえるものです。

 会議の決定が議論によって行われる会議であれば、視点の多さは判断材料の多さにつながり、盲点の少ない決定を得られやすくなります。(そして会議の決定が議論によってなされない会議、最初から結論が決まっている会議は行わないルールであることを忘れずに!)
 そうした視点の多さを確保するためには、結果として発言者に対しても敬意を払う必要が生まれる、というわけです。

相互理解の周知

 相互理解とはお互いを理解することです。

 「お互いを」と言うと双方向に、自分が相手を、相手が自分をそれぞれ理解し合う……という二本の流れでのみ捉えがちです。この場合、自分が理解すればいいのは相手だけ、ということになりますが、それでは自分自身を理解しなければならない、ということを見落としてしまうことになります。
 つまり相互理解には「自分→相手」「相手→自分」の他に、「自分→自分」「相手→相手」という四本の流れがあるということです。

 相手はどのような背骨、能力、意見を持っているか。
 自分はどのような背骨、能力、意見を持っていると思われているか。

 ……ということに加えて、

 自分はどのような背骨、能力、意見を持っていると思われたいか。
 相手はどのような背骨、能力、意見を持っていると思われたいか。

 ……といったことについても、知ろうとする姿勢を持つことが重要になります。

 そうした認識をお互いが持つことで、はじめて認識のズレを洗い出し、建設的な会議をすることが可能になります。それが結果として、会議を充実したものへと牽引してくれると考える次第です。

 最後に、孫子の謀攻篇その五より有名な一文を引用して、本レポートを終わります。

「彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。
「彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
「彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず殆うし。

References

References
1 自慢できることじゃないけどね
2 [防衛本能としての非理性] = これは原始社会における力(=暴力)の原理であって、現代社会においては効果が薄れているもの。だが生物としての人間はそれに対応した機能変化を獲得していない。どうにも功罪入り混じる話で、これが良いのか悪いのかの判断は状況次第としか言いようがない。だが、もしこの機能変化を獲得してしまったら、人間は緊急事態への対応能力を失い、ごく簡単なことで絶滅しかねない気もする。

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