[Column] 〈対話〉から見た生死のプロセス

 前エントリ『〈対話〉から見た行為判定』の続きです。

 前回は「TRPG を〈対話〉と考えたとき、行為判定は〈議論〉の省略であり、〈結論〉について〈参加者〉の合意を得るための説得材料として機能すると考えられる」って話を書いたわけですが。
 んじゃ今回は、「なんで戦闘ルールは細かいのか」という点について。
 (これは「つまらなくならないように」っていう予防の視点からの話になるのかな? 内容が消極的なんで、たぶん色々と思うところも出てくると思うんだけど)

行動の失敗に対する合意

 ランダマイザによって行動結果を判定する行為判定*1[ランダマイザによって行動結果を判定する] = まあ『トーキョーN◎VA』に代表されるように、今では行為判定は必ずしもランダマイザを使うとは限らないが、趣旨は変わらないので今後とくに注釈は入れない。 には、成功と、そして失敗があります。

人間の性質に則した機能

 行動が成功したとき、プレイヤーからその結果に不満が出るということは少ない。しかし行動が失敗したとき、プレイヤーは不満を感じてしまうことが少なくありません。

 もし〈対話〉のみで、行動判定を行わずに「行動は失敗した」と決められてしまったら、その不満はよほどのものでしょう。
 ですが「自分の PC の能力が足りなかった」とか、「ダイス運が悪かった」などの理由があれば、不満もいくらかは和らぐというものです。

 人間には成功においてその理由を求めませんが、失敗においてはその理由を強く求める性質があると思います。そうであるなら、説得材料としての行為判定は、むしろ行為の失敗に対して有効に機能するものだと考えられるわけです。

失敗させたいときにこそ、行為判定を要求する

 メカニズムやシナリオを鑑みて、その行動が成功しては都合が悪いというとき、ゲームマスターは行為判定に失敗させることでプレイヤーを納得させる。
 ……という運用があるんじゃないかと考えています。
 (このときゲームマスターはプレイヤーの考える〈結果〉に合意していない)

 ただし、もしその行為判定にプレイヤーが成功したとしたら、ゲームマスターはシナリオを曲げてでも結果に沿わなければいけません。そうしたリスクをゲームマスターも背負っている、ということで、行為判定を要求することはゲームマスターにとっても危ない橋を渡るギャンブルだったりします。
 もちろん目標値やペナルティなどを操作/決定できるゲームマスターの方が圧倒的に有利であり、その勝負は甚だ不平等なものではあるんですが。

戦闘ルールが詳細な理由

 さて、行為判定が主に「行為の失敗に対する説得材料」であるとするなら。
 大きな失敗、致命的な結果に対しては、より詳細な説得材料が必要になります。
 大雑把に言えば、それが戦闘ルールが細かい理由だと考えています。

なぜ戦闘ルールは細かく、厳密に運用されるのか

 それが「何故か?」と考えると、一つには「それが TRPG だ」という思い込みもあるのかもしれません――「TRPG は戦闘が面白いんじゃないか」とかいった具合に。あるいは歴史的な、伝説と化し、もはや神格にすらなっちゃってませんか? という『Dangeons&DragonsTM』を、デザイナーが意識しすぎているのかもしれません。
 この辺はまあ、それこそ正解は十人十色だと思いますし、そもそもそのあたりの事情は今回の話とは関係ないので横に置いておいて。

 戦闘を行為判定の一種として見れば、それは「勝つか負けるか」の判定です。
 戦闘の勝ち負けは多くの場合、命のやりとりに通じています。極端なことを言えば、戦闘判定の成功とは PC 生存であり、失敗とは PC の死を示しているわけで。*2[命のやりとり] = 「とどめをさす」を独立コマンドとするシステム、またはゲームマスターの場合、殺意の無い相手には殺されないのだが。
 そして PC の死亡は、PC をたった一つの〈ゲームトークン〉とする多くの TRPG において、その PC の担当プレイヤーがそれ以上、そのセッションに参加できなくなることを意味します。

 そんな重い結果を、あっさり片付けられてたまるか!
 ……とまあ、そういう理由かなぁ、と。

 もうちょっと具体的に書くと。
 戦闘に関してはルールを厳密に適用するのも、参加者の合意――俗っぽく言えば「その場のノリ」――で生死が決められてはたまらない、という点が一つ。(該当 PC を担当しているプレイヤーが拒否した時点で「参加者の合意」には至っていないので、実際はルール違反なんですが。ここでも「声の大きい人」に押し切られないように注意しなければいけません)
 それに「あの時、僕はその場のノリで殺された。なら今、君がこの場のノリで殺されて文句を言える筋合いか?」なんてことを言われないように、という「公平なルール適用を求める権利を保持する」なんて予防的な理由が大きいのかな、とか。

 ゲームに慣れた人たちにとって、これらは両方とも特に意識的に行うことではなく「常識的な話」だと思うんですが、そうでない人にとっては「なんで戦闘になったら急にルールにうるさくなるんだみんな」と首をかしげるところのようです。

戦闘だけではない「ゲーム上の死」

 ここで注目することは、戦闘ルールが詳細かつ厳密なのは、必ずしも「失敗 = PC のゲーム世界における生死」という結果を出すからってダケじゃない、という点です。もちろんそれも重要な点ですが、同時に「プレイヤーの〈トークン〉としての死」、あるいは「それ以上ゲームに関われない」ということもあると考えています。

 『ブルーフォレスト物語』の「悟り」や、『クトゥルフの呼び声』の「正気度」、『ダブルクロス』の「侵食率」など、戦闘ではなくても、また「ゲーム世界で PC が死ぬ」わけではなくても、「プレイヤーの〈トークン〉としての死」を扱うルールがありますが。
 これらも戦闘ルールと同じように厳密に運用され、「その場のノリ」を拒絶する傾向が強くあると思います。
 その理由も、上記の「なぜ戦闘ルールは細かく、厳密に運用されるのか」と同じ理由かな、と。

【余談】
 で、まあだから「PC が死んだ後もプレイヤーがゲームに参加できる仕組み」があれば、「PC を殺さないように弱い敵しか出さない」とかヌルいことを言わずにガチンコバトルが遊びやすくなるわけで。
 それはなにも「PC を簡単に復活できるようにする」ダケじゃあない。
 その点『死に急ぐやつらのバラード』のファッキンチップは上手かった。
 ……とか思うわけですが、本筋とはあんまり関係ないですね(笑)

References

References
1 [ランダマイザによって行動結果を判定する] = まあ『トーキョーN◎VA』に代表されるように、今では行為判定は必ずしもランダマイザを使うとは限らないが、趣旨は変わらないので今後とくに注釈は入れない。
2 [命のやりとり] = 「とどめをさす」を独立コマンドとするシステム、またはゲームマスターの場合、殺意の無い相手には殺されないのだが。

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