よく「諦めるな」と言う人がいる。
多くの状況で、諦めて良いことは無い。
でもたまに、諦めないと動けなくなることがある。
諦めようとして、それでも諦めきれないことも、たくさん。
それでもお題目のように「諦めるな」というのは、ちょっと酷だ。
諦めよう、と幾つかの事例に対して思った。
どれもこれも自分に直接関係のある話ではなくて、ほとんどが誰かを応援しようと思っていたことなんだけども、いくら言っても本人にその気が無いのなら、言ったって無駄だと諦めようと思ったわけだ。
実のところ、応援しようと活動すること自体が約束違反で、やってた自分が悪かった次第。まあ先方はそんな約束をしたことも、覚えてないんだろうけど、どっちにしても余計なお世話だったわけで。
空回りしてたわけです。
逆に、諦める選択をした人を認めよう、とも思った。
簡単に投げ出したのではなくて、努力の結果として諦める、という選択をしたのであれば、それは立派に一つの意志の表れだ。それに対して他人が安易に「諦めるな」というのは簡単だけど、それは苦境にある人に「頑張れ」と言うくらい無責任な事でしかない。
具体的に応援できるわけでもないし、何ら力になれるでもないが、せめて心情的に尊重しよう。
その程度のことなんですが。
諦めることが切り捨てることに直結するようだと、それはちょっと勿体無い、と思う。
でも諦めることで道が開けることもあって、そういう事まで否定することは誰にも出来ないと言うか、しちゃいかんことだろうと。
何かまあ、そんなことを色々考えた15時間でした。