失敗の責任なるもの+

(こうした文章を書くのもちょっと久しぶりなので、ちゃんと書けているのか不安だったりもするんですが、出さなきゃ始まらんということで放流します)

(T)RPG の話題として、セッションが面白かったかつまらなかったか、つまらなかったときの責任は誰にあるのか……そんな話が時折出ることがあります。

今回目にしたのは Twitter 上でしたが、長く遊んでいれば一度は考える話題かなーと。

時間が経つと、考えたことも忘れちゃうくらいの話だったりもするんですけどね。

大前提として

最初に断っておきますと、プレイコミュニティの運営を考える人間として、僕は参加者間でセッション失敗の責任を問うことを、賢い方法ではないと思っています。それがより良く楽しむことを目的としていたとしてもです。

そんなことをして喧嘩にでもなれば……そこまでいかなくとも楽しめなかった不快感を増大させてしまったなら、「次また一緒に遊ぼう」とは思えなくなるかもしれません。

要するに誰かに失敗の責任を負わせようとすることは、遊ぶ機会を失いかねない行為だということです。

これは特に、参加者が固定的なプレイコミュニティ 1)この「固定的」は、セッション単位の話ではなくコミュニティ単位の話。で顕著です。参加者が流動的であれば「特定の個人が悪かった」として、その人物を切り離してしまえば済みます。しかし固定的なプレイコミュニティでは、様々な理由からそれが難しくなりがちです。

そして往々にしてセッションの楽しみは、参加者が固定的なプレイコミュニティでより深く大きくなる傾向があります。特定のコンテンツやジャンルの類型(オヤクソク)に依存するコンセンサスを基盤とし、阿吽の呼吸で物語を構築することを楽しむ遊び方では特に大きなものになります。

それでも考えてしまうことはあるでしょう。それもまた仕方のないことです。理由はどうあれ「我慢しろ」と言う/言われるのもフラストレーションが溜まってしまいます。何処かで発散しなけりゃならないとするなら、それぞれのリスクを理解して、上手いこと処理できるよう備えておく必要もあるでしょう。

行き着く先は

「セッションが失敗した原因は何か?」という話、大抵が最終的に「誰(または何)に責任転嫁するか」という話になります。そもそも「セッションの成功と失敗」を判断する、誰もが認める明快で公平な評価基準が見つかっていません。ですから「失敗だった」と判断した人の恣意的な評価基準(≒感情論)に委ねられてしまいます。

お行儀良く考えるなら「セッション参加者全員に責任がある」となります。まあこれも、「セッションを失敗させない責任」というものがあるとするなら、なんですが。

ちゃんと何が悪かったのかを割り出そうとしても、前述の通り基準がありませんから、行き着く先は感情論になってしまいます。記録を取っておいて客観的に判断したとして、まず「この人が悪い」と思える人を割り出しても、当人は「その前の誰それの態度が気に入らなかった」などと答えるかもしれません。感情の問題ですから、最終的には水掛け論にしかならんのです。

敵を外に求めよ

組織運営の古典的な手法に「敵を外に求めよ」というものがあります。共通の敵を作ることで一致団結しよう、というわけです。この方法は (T)RPG でも使えますし、(多くは無自覚でしょうけど)よく使われています。

この時、よく登場する仮想敵に、以下の三つがあります。

  • 外来の参加者
  • システム(製作者)
  • シナリオ(製作者)

外来の参加者を敵とする

ゲーム外での交流が無い(または少ない)参加者は、セッションが終われば「外」の存在になります。

前世紀に「困ったちゃん」と呼ばれていたのは、そういう参加者が多かったように思います。(特にデータを取ったわけではないんで印象論なんですが)

まあコンベンションで偶然同席した人とか、オンラインで一度同席しただけとか、そういう人に責任をおっかぶせてしまうケースはわりと良く見られます。

単に「自分の普段の遊び方と上手く噛み合わなかっただけ」というケースも少なくないんですが、まあ「普段ほど楽しめなかった」のであれば結果的には同じこととされます。こういうのは、お互い様だったりするんですけどね。

これ、その人とは二度と遊ばないようにできるなら、悪い選択ではありません。ただしやり過ぎると、あなたが「同席した参加者を悪者に仕立て上げる(可能性のある)ゲーマーである」というマイナスの印象を背負うことにもなりますが。

システム(製作者)を敵とする

システム(製作者)を悪とするケースは、わりと初心者さんに多いように思います。

シナリオや参加者によってゲーム体験が大きく違ってくる、ということを感覚的に理解していないと特にこちらが選択され易いようです。(まあベテラン勢がシステム非難を避ける理由はこうした理解の他に、後述の、この選択の欠点をより重要視している気もしますが)

また、シナリオがただ戦闘ばかりを繰り返すようなセッションだった際も、こちらを選択するケースはあります。「ゲームメカニズムが悪い」「データバランスが悪い」という判定ですね。

いわゆる「アドリブGM」が多かった昔、シナリオをきちんと用意しないで遊んでいたら、そりゃそうとしか言いようがなかったのも分かります(笑)

そして多くの場合、システム製作者はユーザの環境外にいます。その為、直接の交友関係には全く影響させずに仮想敵としやすい、という利点はあります。逆にシステム製作者がプレイコミュニティにいる場合、この選択肢が採られる可能性は激減します。

ただしこの選択肢を選ぶ場合、同じゲームシステム、または同じデザイナーの作ったゲームシステムでは遊べなくなる可能性は大きくなる、というリスクを伴います。そのため、本当にそのシステムの出来が悪い、二度と遊びたくないと考えるのでない限り、あまり良い選択とは言えません。(少なくとも前日にボロクソにけなしたばかりのゲームシステムで遊ぼうぜ、とは言い出しにくいものです)

シナリオ(製作者)を敵とする

これも昔からある仮想敵の設定です。まあ実際「その難易度設定はどうなの?」と言いたくなるような、過酷すぎるシナリオを作る人は、商業デザイナーの中にもいますし(笑)(これは想定される遊び方、楽しみ方そのものが異なることが原因だったりするんですが)

システムと異なり、シナリオは交換しやすいので、セッションの機会を失いにくいという点で、システムに責任転嫁するよりかは、いくらか妥当な選択肢ではあります。

そしてリスクはシステムを敵にするほど大きくもなく、また外来の参加者がいなくても使えるという点でも妥当な選択肢となりえます。

で、この判断が GM の責任負担増につながるわけです。

GMが責任を求められた理由(の一つ)

その昔、シナリオはゲームマスターが自作するものでした……いや「ものでした」って言っちゃうと語弊があるんですが、(商業的な都合なのか、あるいは別の理由があったのかはともかく)すぐに遊べるゲームシナリオを入手する手段が非常に少なかったんです。

シナリオ集が商品化されていたら大したもので、良くてサポート誌への掲載、悪いとそもそも関連商品が一個も出ない、みたいなことも少なくなくて。

だから「手に入らないから自作する」という形で、それが当たり前という状況が非常に長かった。

もちろん入手手段が増えた現在でもシナリオを自作するゲームマスターは少なくないでしょうし、自作したシナリオで遊ぶ楽しさってのもありますんで、良し悪しの話ではないんですが。

ただまあ「責任の所在」という話になると、ゲームマスター≒シナリオ製作者ということから、シナリオが悪い≒ゲームマスターが悪い、セッションが失敗だったのはゲームマスターの責任……というコトになってしまうケースも有ったわけです。

コミュニティ形成のために

実はここに対するケア/サポートの違いが、そのタイトル(ゲームシステム)の普及そのものに影響してるんじゃないか? とか最近よく思ってたりもします。

「いかにして一つのゲームシステムを中長期的に遊び続けるコミュニティを形成するか?」というお題に対して、特にデザイナーのレベルで「コミュニティ内の雰囲気を健全に維持するために、失敗の責任をなるべく外に作る」という解があるんじゃないかな? という。

パッと一度は遊べても、そこで終わってしまったらコミュニティは維持できないわけで。セッションが終わった段階で、すぐに「次のセッション」の準備ができる環境が整備できるかどうか? という。今回の責任の所在みたいな感情的なものでも、あるいは準備にかかる労力のようなものでも。 2)内輪では準備すること自体が遊びになっているので、この辺やたら頑丈になってたりするんですが。

従来の「シナリオを供給し続ける」という解もその一つで、国内だと古くは『ソード・ワールドRPG』のシナリオ集の展開、『トーキョーN◎VA』のスーパーシナリオサポートなどがあります。(良くも悪くも)シナリオの出来でゲーム体験は変わるよ、というのをこれでもかと理解させてくれたものです(笑)

そこからもうちょっと踏み込むと「楽しいゲーム体験を提供する責任を負う」となるんでしょう。ここに圧倒的な存在感でかじを切ってきたのが『Dungeons & Dragons TM』 3.Xe 以降のパワフルな展開でした。

インディーズ級の生き道もこの辺かなあ、とか思っていて。なので今後、ゲームシステムを継続的に遊んでもらいたい人は、セッションのゲームメカニズムだけでなく、シナリオの提供方法や書式なんかもしっかりデザインしていくことが求められるのかなーとか。

References   [ + ]

1. この「固定的」は、セッション単位の話ではなくコミュニティ単位の話。
2. 内輪では準備すること自体が遊びになっているので、この辺やたら頑丈になってたりするんですが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください