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  • ふと思い出して怖くなった画

     ケータイの機種変更をしようと思ってカタログめくってたんですが。
     ふと思い出して、怖くなった画(シーン)が有ります。

     『PS羅生門』というマンガがあります。(ビッグコミックオリジナル連載)
     僕はこれがえらく好きで、読むたびにどっかしらで泣きそうになるんですが。

     ちなみに作画は中山昌亮氏。
     乾いているようでも渇きはしない、黒沢明も小津安二郎も画けそうな筆力。
     心地好い緊張感のある、なんともいえない味があります。
     個人的には『突破者太陽侍』からのファン。(←原作は宮崎学『突破者』です)

     そして原作が矢島正雄氏。
     『人間交差点』や『ビッグウィング』の原作者として有名。
     元々は弘兼憲史好きから流れたんですが、話に色気があって良い。
     オッサン、オバチャンっていうキャラ立てが好きになったのは、たぶんこの人の影響。

     閑話休題。
     話は『PS羅生門』に戻りまして。
     このマンガのエピソードに、

     プラットフォームから落ちた男が電車に轢かれ、偶然にもまだ生きていたとき。
     電車待ちしてた人々が、ケータイを取り出して 119番通報でもするのかと思えば……

     ケータイで写真とりまくってた。

     という話がありまして。

     もちろんフィクションだと思うんですが、これ現実にありそうな話じゃないですか?
     少なくとも、実に容易に想像できるシーンです。
     僕自身、救急車を呼ぶためにケータイを取り出す自信はありません。
     かといって写真撮るかっていったら、撮らないとは思いますが。
    (もしそれが誰か他人に突き落とされたもので、その犯人に気付くことが出来たら、犯人の写真を撮りそうな気はします。ひき逃げまがいのナンバープレート撮ったりするし。お年寄りが転んだ時とか)

     ただ、どうして撮らないのかというと、理由は「怖い」「気持ち悪い」「なんか違うモン撮っちゃいそう」とか、そんなコトになりそうではあります。あるいは単に身体が硬直して動けないとか、そういう心理以外の機能不全による結果論か。
     自分がそうだから、というダケでもないんですが、写真を撮る人、撮らない人、共に「助けよう」という心理は、なかなか働かないような気がします。
     そういう社会のような気がします。

     だから何だと言われても困るんですが、ケータイのデジカメ機能がえらく向上してるのを見て、ふと思い出して怖くなっちゃったという、そういう話です。
     せめて救急車を呼べる人になりたいですね。

  • 背骨、あるいは感傷

     経過と結果の取り違えをしているのかもしれない、と思ったのは高校に入った頃。
     それからずっと、うまく論としてまとめられずにいる、皮膚感覚のようなもの。
     論になってないので、直感だけ書いてしまうと、

    「貴方が何らかの選択を下した、そのことが結果である」

     ということ。
     一般に結果と言われている「その後どうなったか」は、人生の経過でしかないと思う。
     選択を下した瞬間。
     それが貴方の人生の結果だろう。

     人間、とどのつまりが「どう死んだか」ではなく「どう生きたか」でありたい。
     それで良いと思う。

  • 島宇宙化

     なんだか取りとめも無く、困ったコトを考えてしまいまして。
     WWW の今後の方向性だとか、blog の性質とか、SNS の長短とか。
     だだ長い上に実りの無いコト考えちゃって、なんか最近テンション下がりっぱなしなのか……

    (さらに…)

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