現役退いた人間に仕事を教えられちゃあイカンよ。
……とか思うんですが、なんだかんだで教える立場。
学校の勉強なんかだと教えるのも面白いんですが、仕事の仕方なんて適性もあるし個性もある。そんな自分で構築せにゃならんモンを教えろと言われたってまあ、困るよなァとか思う。
どこまでも我流でやってきた人間なので。
現役退いた人間に仕事を教えられちゃあイカンよ。
……とか思うんですが、なんだかんだで教える立場。
学校の勉強なんかだと教えるのも面白いんですが、仕事の仕方なんて適性もあるし個性もある。そんな自分で構築せにゃならんモンを教えろと言われたってまあ、困るよなァとか思う。
どこまでも我流でやってきた人間なので。
概念の多くは言葉によって固定化されるものです。
簡単に言うと「言葉のイメージに振り回される」ってことですが。
僕の主観ですが、「いじめ」って言葉はどうも幼稚なイメージがあります。
そして「幼稚」は相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いと。
A=B、B=C、A=C の単純な証明式でいえば、「いじめ」は「相手にするのも愚かしい、甘えた、程度の浅いイメージがある」といった具合。
人々を死に至らしめる行為にしては、いささか表現が弱い気がします。
だったら言葉を変えてしまえばいい。
虐待でも集団暴行でもなんでも、もっと過激で衝撃的な言葉にしたらいい。
それは立派な犯罪行為である、という言葉にしたらいい。
いささかエキセントリックな考えだとは思いますが、これだけ騒ぐにしては、どうもイメージが軟すぎて(苦笑)
ま、これは短絡志向に過ぎる話。
あんまり過剰表現になりすぎても、人がそれに慣れてしまえば無効化されることなんで、現行のマスコミの影響力を考えると、却って逆効果になる可能性もあることなんですけどね。(多くの人が凶悪犯罪の報道に対して「ああまたか」と思うようになってしまったのも、展開的には同じこと)
うろ覚えなんですが、先人の名言として習った言葉があります。
「民衆が国を愛するのは、その国が正しいからではない。
その国が自分たちのものだからである」
逆もまた真なり、ということでしょう。