悲しい知らせが届いた。
「あの子、死んじゃったって」
ふと、煙草で霞んだ天井を仰ぐ。
久しく忘れていた、懐かしい笑顔があった。
そして思い出す。
「指きりげんまん」「約束だよ」「絶対ね」
鸚鵡のように繰り返した言葉。
つまらない約束。
春の木洩れ日は、忘れた記憶を照らしてはくれない。
お題提供ページ:小説書きさんに50のお題
悲しい知らせが届いた。
「あの子、死んじゃったって」
ふと、煙草で霞んだ天井を仰ぐ。
久しく忘れていた、懐かしい笑顔があった。
そして思い出す。
「指きりげんまん」「約束だよ」「絶対ね」
鸚鵡のように繰り返した言葉。
つまらない約束。
春の木洩れ日は、忘れた記憶を照らしてはくれない。
お題提供ページ:小説書きさんに50のお題
さまざまな種を、さまざまな畑に蒔いている。
そういう二人の農夫がいた。
一人はまた十そこそこの若輩、一人は四十を前にした壮年である。
彼らの蒔いている種は、どれも美しい花を咲かせ、瑞々しい果実を付ける。
しかしそれらの成育条件は厳しく、また時間もかかるものである。
千の種を蒔いたところで、たった一本の成木が育つまでに、何十年も待たなければならなかった。
若輩は、その種が育っていくのを、ただ楽しく眺めていた。
だが壮年は、次第にそれを待つことに焦れていた。
花が咲いた頃には、自分は既に生きていないかもしれないと。
壮年は、早く育て、早く育てとたくさんの水をやった。
そしていつしか土は泥となり、苗木は根付かず流れてしまった。
壮年は涙に暮れ、悲嘆のうちに命を絶った。
そんな夢を見た。
「ルナル/盟友の子ら」を、ようやっと更新。
なんでこんだけ放っておいたんだ自分。
何気なく去年の年末あたりから、延々やる気ゼロのヤサグレ状態だったから(汗)
いくら私的な活動とはいえ、参加者さんのモチベーションにも関わることなんで、そういう自分の都合でってのはイカン話です。
反省。
ところでリプレイに編集しなおす過程で、ログを読み返す作業が必ずあるわけですが。
一人、笑いながら作業してたらしいです。記憶に無いんですが。
それもやたらとイイ声で笑ってたらしいです。
居候のオハル女史(仮名)が、真似してくれました。
それを聞いた専属看護士が言いました。
「おひげ男爵」
なんだそれ。
なんだかよく分からんタイトルですが。
僕は、幽霊だの精霊だのの類をよく目撃する人です。
なので僕個人としては、そういうモンは「在る」とは思うんですが、だからといって「無い」という人に「いや在るんだよ実際」とは言いません。
なにしろ信じる/信じないの論議ほど、ナンセンスな水掛け論も無い。
個々人が信じる/信じないを決めれば、あるいは「あったら面白い」とか「いたら怖い」とか、そういう自分なりの価値基準で決めればいいことで、ぶっちゃけてしまえばどうでもいい話です。
山間から伸びる夕日に神を感じるのも、それを魔境だと断じるのも、気分次第。
強要することじゃない。
しいて言うなら「信じる」という言葉を遣ってる時点で、一度でも疑念を抱いたことがあるんだろうなと思うくらい。
直観にとって、理も論も「よけいなもの」に過ぎません。
青天井、即ち青空は「無限」の意味を持っています。
……と思っていたら、実は宇宙は青くありませんよー、と科学さんが言います。
青天井も、天井なんですよ。限りがある。
宇宙にだって端があるらしいですしね。
でもまあ、宇宙を青く塗ったって良いんです。
そういう宇宙があったって、いいじゃないですか。
昼。
家で休んでいたら、玄関のチャイムが鳴る。
とりあえず出ることにした。
専属看護士は、ベッド脇で仮眠中だ。
君が雑用をやってくれる約束で、僕は退院できたんじゃなかったのかい?
髪をつまんで頬をくすぐると「うにゃあ」という。
面白い。
もうちょっと遊んでみたかったが、二度目のチャイムが鳴ったので諦める。
用が済んだらアイスノン乗っけてやろう。
「ごめんください」
悪くない声。
標準より若干高めだが、それと気付かない程度の高さ。天然のメゾソプラノ。
なかなか好みの声質である。
一番好きなのはコントラルト(アルト)だけどね。
まあいいや。
そんなわけで、選択肢は……
○とりあえず出る
覗き窓から確認する
無視する
玄関をあけると、ちょっと背の低めの、20~30代の可愛らしいオネーチャン。
これはちょっと出来すぎだろう。
もうちょっと外れてた方が、安心できたのになァ。
ヤな予感がしつつも、可愛かったのでご挨拶。
人間、正直に生きるのが一番だ。
「どうも。なにか?」
「この辺りを回らせてもらって、神のお言葉を」
しました。退院。
最初「島下」とか変換されるこの PC のバカさ加減に懐かしさを覚えつつ。
考えてみりゃ今年になってから、マトモに自宅にいたのって 10 日もなかったんですよね。
そう考えると、実はまだ松の内なのかしらとワケのわからんことを思ってみたり。
まあ明日一日はしっかりお休み。
木曜日はご挨拶がてらの顔出しがてらの進捗確認がてらの現場入り。
まだまだ全然余裕な時期。忙しくなるのはこれからですよ某さん。
それにつけても現場の皆さんに大変ご面倒おかけしました。
スケジュール・デスクにはこれから面倒かけます。
ありがとう(何)
金曜日はまた打ち合わせが 2 本あるらしいです。
詳しいことの分からんオファーなんで、とりあえず内容確認に。
土曜日は線香上げに行って来ます。先日亡くなった戦友に。
もし葬儀に出てたら、衆目の前で香炉をむんずと掴んで遺影にブン投げるはずでした。
そういう約束だったのです。本人と。
そんな約束すら守れない男にしてくれたな、ちくしょうめ。
日曜日は、今年初めての魚人参り。
なんかまたイヤなモン食わされそうな気配です。
カレー羊羹とか言ってたし。
ケータイの機種変更をしようと思ってカタログめくってたんですが。
ふと思い出して、怖くなった画(シーン)が有ります。
『PS羅生門』というマンガがあります。(ビッグコミックオリジナル連載)
僕はこれがえらく好きで、読むたびにどっかしらで泣きそうになるんですが。
ちなみに作画は中山昌亮氏。
乾いているようでも渇きはしない、黒沢明も小津安二郎も画けそうな筆力。
心地好い緊張感のある、なんともいえない味があります。
個人的には『突破者太陽侍』からのファン。(←原作は宮崎学『突破者』です)
そして原作が矢島正雄氏。
『人間交差点』や『ビッグウィング』の原作者として有名。
元々は弘兼憲史好きから流れたんですが、話に色気があって良い。
オッサン、オバチャンっていうキャラ立てが好きになったのは、たぶんこの人の影響。
閑話休題。
話は『PS羅生門』に戻りまして。
このマンガのエピソードに、
プラットフォームから落ちた男が電車に轢かれ、偶然にもまだ生きていたとき。
電車待ちしてた人々が、ケータイを取り出して 119番通報でもするのかと思えば……ケータイで写真とりまくってた。
という話がありまして。
もちろんフィクションだと思うんですが、これ現実にありそうな話じゃないですか?
少なくとも、実に容易に想像できるシーンです。
僕自身、救急車を呼ぶためにケータイを取り出す自信はありません。
かといって写真撮るかっていったら、撮らないとは思いますが。
(もしそれが誰か他人に突き落とされたもので、その犯人に気付くことが出来たら、犯人の写真を撮りそうな気はします。ひき逃げまがいのナンバープレート撮ったりするし。お年寄りが転んだ時とか)
ただ、どうして撮らないのかというと、理由は「怖い」「気持ち悪い」「なんか違うモン撮っちゃいそう」とか、そんなコトになりそうではあります。あるいは単に身体が硬直して動けないとか、そういう心理以外の機能不全による結果論か。
自分がそうだから、というダケでもないんですが、写真を撮る人、撮らない人、共に「助けよう」という心理は、なかなか働かないような気がします。
そういう社会のような気がします。
だから何だと言われても困るんですが、ケータイのデジカメ機能がえらく向上してるのを見て、ふと思い出して怖くなっちゃったという、そういう話です。
せめて救急車を呼べる人になりたいですね。
該当記事の公開は終了しました。