カテゴリー: diary

  • 満足と妥協

     情報と物の氾濫した現代社会において、欲しいものは探せば大概あります。
     だからみんな、探す技術ばっかり長けていくんだけども。
    「欲しいものがあったら自分で作ればいいじゃないか」と、たまに思います。
     需要と供給の構図をブチ壊す、消費経済の敵みたいなセリフですが。

     山ごもりしたときに思ったんですけどね、都会って怖いです。
     カネがないと何も出来ない。
     山暮らしの間中、カネがなくても足りないものは、自分で材料とって来て作っちゃえば良かったので、まあモノの出来栄えさえ気にしなければ、大層ラクな生活をしていたように思います。
     右掌の皮が、ちょっとボロボロになりましたけど。

     まあ都会とカネのアレコレはさておいて。

     

    (さらに…)

  • [掌篇] 21 : ヘブンズドア

     ライスシャワーの中、赤絨緞を歩く二人。
     投げたブーケを取る子供。
     祝福する客らが楽しげに笑う。
     海辺の陽射しは純白のドレスを輝かせる。
     たくましい腕に抱かれ、生まれた赤子の明日見る夢。

    お題提供ページ:小説書きさんに50のお題

  • 日記(?)

     とりあえず録画してくれてたようなので、明日あたりゆっくり鑑賞予定。

     ドクターが GW の家族旅行から帰ってきて、やたらと上機嫌。
     昨日診察に来たときなんか「検査♪ 入院♪ 検査♪」とか鼻歌です。
     ……なかなか心臓に悪いです(笑)

     さっき、フラフラ研究棟の中を散歩してたら、ドアの向こうに御守りと御札の産卵しているステキフィールドを発見しました。
     なんせ医療関係です。
     これはきっとアレです。
     ちょっと時期早いけど、今日は熱いから出てきちゃったんですな。
     そうですきっとアレに違いないのです。
     ……ものすごく心臓に悪かったです(笑)

     今晩のセッションに備えて昼寝します。
     それにしても、我ながらどんな病人なんだホント(苦笑)

  • 時差ならぬ日差

     気がついたら一日ズレてました。
     (お陰で掌篇アップも遅れました。スミマセン^^;)
     たぶんどっかで丸一日、寝潰れてた日があったんでしょうけど。
     ……誰も教えてくれんのだもんなァ。
     危うく仕事の〆切まで破るところでした。
     あぶねぇアブネェ。

  • [掌篇] 19 : 鳥籠(とりかご)

     引越しの最中のこと。
     一つの古びた空の鳥籠を、物置で見つけた。
     子供の頃、母にねだって買ってもらったものだ。
     眺めていれば、そこに小鳥がいる気がした。
     家には犬がいて、飼えなかったんだけど。
     錆付いた戸を開けてみた。
     羽ばたく音が、聞こえた気がした。

    お題提供ページ:小説書きさんに50のお題

  • 時が経つのも早いもの

     岡崎律子女史が亡くなって、今月五日で二年が経ちました。
     あれはえー、誰から聞いたのが最初だったっけか。
     なんか方々から聞いて、その度に真白になってましたが。
     いやまあ、ソレだけなんですけどね。

  • 寝て曜日

     ドクターが旅行から帰るまでは、基礎検査で判断材料を増やすとのこと。
     検査機材が廻ってくるまで、もうしばらく待ちってコトですな。
     やれやれ。

     PHP5 + MySQL の解説本を差し入れてもらいました。
     しばらくはコレ読みながら、あれこれ妄想を膨らませることにします。
     やりたいことをやろうと考えると、変数管理が面倒なのが玉に瑕。
     ちゃんと数式を作って平等にしないと「ゲーム」が成立しないわけですが、数式は一つ間違えば「勝利の方程式」の確立=パターン化のオンパレードになります。
     そうならないために、リスクとリターンの関係を数式化。
     一芸主義v.s.器用貧乏の関係は重要です。
     下克上の希望を保つための「隙間」を作ること。
     自己満足のための「無駄」が生きる要素を作ること。
     ……どんだけトライ&エラーを積み重ねれば出来るのやら。
     まあ、考えてるのが面白いってモンなんでしょうけどね、こういうのは。

  • 畳の上で死ぬ怖さ

     畳の上で死ぬというのは僕にとって怖いことです。
     どっかの戦場で、まったく無関係な「ついで」の死の方が、よっぽど怖くない。
     これまで何度か「手術をしなければ危ない」と言われてきて、その度に手術をして乗り越えて来たわけですが、去年からの「手術に失敗したら危ない」という段階になってから恐怖はより増しています。
     自覚症状といえば、頭の頂辺近くがボーっとしたり、たまに心臓のあたりに痛みらしきものが走るくらいで、これまでと何が違うのかよく分からんくらいなんですが。

     やたらと銃弾に縁があった時期もあれば、人間の脳の処理限界を体感した交通事故とかロクでもない経験もあったりします。
     それでも死に対する恐怖は、今ほどではなくて。
     結局、じわじわ近付いてくるソレが一番怖いモンです。
     それも知らんうちに忍び寄ってるならともかく、目に見えて近付いてきてるってのは本当に怖い。
     今んとこ足踏み小休止のようですが、またぞろいつ行進を再開するのやら。
     どんな手段を使おうと、当分は世に憚るつもりですが。
     憎まれっ子だし(笑)

     しばらく入院します。

  • 病気という妖怪

     妖怪の座に、病気が座っている。
     今に始まったことじゃないが。

     こんな話がある。
     戦前のことだそうだが、郵便配達員の若者が、村はずれの家まで一通の手紙を届けに行く。
     宛名には覚えがないが、行ってみたら確かにそういう苗字の表札の家がある。
     郵便受けに入れるんでなしに、「配達でーす」とやっていたらしい。
     その家でもそうした。
     すると出てきたのは目も覚めるような美人である。
     その美人に「こんなはずれまでご苦労様。少し休んでいきませんか。お茶くらい出しますよ」と勧められたものだから、若者は「まあ少しくらいなら」と家に上がった。
     少し話した後、その美人が小用で退席する。
     若者はしばらく待っていると、後ろから「アンタ何してる」と怒鳴り声。
     さては間男と間違われたかと思い、振り返ると手ぬぐいで鼻をふさいだ男がいた。
     若者は肥だめに腰まで漬かって、朗らかに独言していた。

     さて昔なら、狐狸妖怪に化かされた怪異譚となるところだ。
     これが今なら神経がどーの、幻覚がこーのとなって、病名がつけられる。
     病名をつけた医者は、その原理を(自分なりに)理解しているだろう。だがそれを聞いた一般の、こと医学に無知な人は、ただ「そういうもの」として認識する。
     そして「病気であるから」と同情なり憐憫なりの言葉を語る。

     病気への「そういうもの」という認識の仕方は、昔の妖怪に対するソレと、なんら違いがない。
     病気は今や、そういうものになりつつある。

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